おぼ(1)東京芸大で教えていた頃の学生、津口在五が生まれ古郷の尾道に帰っていて、シネマ尾道で行われる「東京物語」の上演後のトークに誘ってくれた。津口だし、尾道だし、東京物語だし、二つ返事で行くと答えた。
おぼ(2)尾道の「坂道の街」は、今素敵なことになっていて、「空き家プロジェクト」で古い民家を再生し、若者が住み着く動きが出て来ている。象徴的なのは「ネコノテパン工場」で、最初にその姿を見たとき、あまりにもファンタスティックで呼吸が止まるかと思った。
おぼ(3)尾道の「坂道の街」では、AIR(アーティスト・イン・レジデンス)の活動も行われていて、芸術家たちが一定期間住み着いて、作品をつくる。二 つ見たけれども、どちらも素晴らしい出来で、尾道がアートの街として力を持っていくプロセスの目撃者になっているような気がした。
おぼ(4)尾道大学の存在も大きい。経済や美術の学科があり、尾道大学に進学したことがきっかけとなって尾道の街並みや風土が好きになり、そのまま住み着 いてしまったという若者も多い。魅力的な景観と、大学と。一つの街が新たな生命を得る一つのモデルケースが、尾道にあった。
おぼ(5)シネマ尾道で、小津安二郎の『東京物語』を見た。世界の映画人にこよなく愛される神品。幾度となく見ている作品だけれども、ロケ地の尾道で観賞 することには、独特のよろこびがあった。尾道の街は、実にこの作品で、人類の文化史に永遠の足跡を印したと言ってよいだろう。
おぼ(6)『東京物語』の中での、尾道の描かれ方が素敵である。老夫婦が尾道から東京に旅する。子どもたちは、それぞれの仕事に追われて、十分に愛情を示すことができない。「文明の圧迫」の下で、人間として本来大事なことを、忘れてしまっているのだ。
おぼ(7)ただ単に、その人がそこにいるから愛しみ、大切にする。そんな幸せの原理を、「東京」の子どもたちは忘れている。仕事や、勉強や、人間の能力を 量り売りし、取引する「市場原理」の下で、年老いた両親に対する 温かい気持ちを、十分に表現することができないでいる。
おぼ(8)『東京物語』の中の尾道は、夏目漱石も『坊っちゃん』の中で描いた私たちを駆り立て、せわしなくする「文明の圧迫」(その中には大学入試も、新卒一括採用も、TPPも入っている)への対抗原理の場として描かれることで、永遠の生命を得ることになった。
おぼ(9)尾道の街のリズムは、映画にあっている。尾道に旅して、シネマ尾道で映画を観る。そんな旅のスタイルが定着するのではないか。『東京物語』は、 できれば定期的に常に観賞できるようになってほしい。文明の圧迫から離れ、日常生活を見直す大切なきっかけになるはずだ。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2011年12月7日水曜日
2011年12月6日火曜日
のびるやつ、のびないやつ
のの(1)才能とはなんだろうか。性格的要素も大きいと思う。のびる人と、のびない人がいる。それは、一つの態度である。のびない人は、自分自身の態度で、のびないのだということに気付かない。もったいない。それは、人生の一つの悲劇である。
のの(2)話していると、なんとはなしに、この人はのびるか、のびないかということがわかる。わかいやつでのびるのは、とにかく背伸びしているうやつであ る。好奇心に満ちて、自分がまだよくわからないことでも、世界のいろいろなことに届こうとしている。つま先立ちのやつはのびる。
のの(3)一方、のびないやつは、自分語りを延々と続けたりする。なにか問題点を指摘すると、防護的になるやつものびない。客観的にみて、こんな穴がある じゃないか、というときに、はっと考え込むようなやつは伸びる。「それはこうで・・」と即座に誤魔化そうとするやつはのびない。
のの(4)人のせいにするやつはのびない。「世間って、こうじゃないですか」としたり顔でいうやつは、まずのびない。したり顔は一般にのびない。世間の常識がどうであれ、あれ、そうでしたっけ、というような涼しい顔をしているやつは、ときどき驚くほどぐーんと伸びる。
のの(5)一般に、ノーガードなやつは伸びる。ボディブローを何発打ち込まれても、それでも無防備で平気で打たれている。猜疑心の強いやつ、がちがちに防御しているやつはのびない。むしろ、打つんなら打ってみろとばかり、パンチをぶんぶんふりまわしてくるやつはのびる。
のの(6)自分がいかにダメか、至らないかという認識を、くそう、と反撃へのバネにできるやつはのびる。一方、だから無駄なんだとぐずぐず潜っていくやつ は、のびない。潜ること自体を美学にするやつもいる。そこで花が咲くこともあるけれども、ただ泥沼になってしまうこともままある。
のの(7)他人の助けを安易に借りるやつはのびない。一方、他人の美質を素直に認め、抱擁するやつはのびる。一般に、自己顕示欲の強いやつは案外伸びな い。自分のことばかりで、他人が視野に入っていないからだ。クリエーターにはナルシストが多いが、それぞれの器で作品をつくる。
のの(8)共感の振れ幅が大きいやつはのびる。ぐーんと自分の感覚が広がって、しかるに自分の身体へと帰っていくことができるやつ。振れても、いっちゃっ たままで、自分に戻ってこれないと伸びない。ものを知らないやつは伸びない。もっとも、それに気付いたとき、超新星爆発するやつもいる。
のの(9)人生の目的は自己実現であろう。私たち一人ひとりの中に、のばされるべき可能性の核がある。自己弁護や、自己正当化、自己欺瞞、見栄、虚栄、そ んなものでじゃましてちゃもったいないよね。若い時は、ダメな 性質が極端にでがちなものだから、特に注意せねばならない。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
のの(2)話していると、なんとはなしに、この人はのびるか、のびないかということがわかる。わかいやつでのびるのは、とにかく背伸びしているうやつであ る。好奇心に満ちて、自分がまだよくわからないことでも、世界のいろいろなことに届こうとしている。つま先立ちのやつはのびる。
のの(3)一方、のびないやつは、自分語りを延々と続けたりする。なにか問題点を指摘すると、防護的になるやつものびない。客観的にみて、こんな穴がある じゃないか、というときに、はっと考え込むようなやつは伸びる。「それはこうで・・」と即座に誤魔化そうとするやつはのびない。
のの(4)人のせいにするやつはのびない。「世間って、こうじゃないですか」としたり顔でいうやつは、まずのびない。したり顔は一般にのびない。世間の常識がどうであれ、あれ、そうでしたっけ、というような涼しい顔をしているやつは、ときどき驚くほどぐーんと伸びる。
のの(5)一般に、ノーガードなやつは伸びる。ボディブローを何発打ち込まれても、それでも無防備で平気で打たれている。猜疑心の強いやつ、がちがちに防御しているやつはのびない。むしろ、打つんなら打ってみろとばかり、パンチをぶんぶんふりまわしてくるやつはのびる。
のの(6)自分がいかにダメか、至らないかという認識を、くそう、と反撃へのバネにできるやつはのびる。一方、だから無駄なんだとぐずぐず潜っていくやつ は、のびない。潜ること自体を美学にするやつもいる。そこで花が咲くこともあるけれども、ただ泥沼になってしまうこともままある。
のの(7)他人の助けを安易に借りるやつはのびない。一方、他人の美質を素直に認め、抱擁するやつはのびる。一般に、自己顕示欲の強いやつは案外伸びな い。自分のことばかりで、他人が視野に入っていないからだ。クリエーターにはナルシストが多いが、それぞれの器で作品をつくる。
のの(8)共感の振れ幅が大きいやつはのびる。ぐーんと自分の感覚が広がって、しかるに自分の身体へと帰っていくことができるやつ。振れても、いっちゃっ たままで、自分に戻ってこれないと伸びない。ものを知らないやつは伸びない。もっとも、それに気付いたとき、超新星爆発するやつもいる。
のの(9)人生の目的は自己実現であろう。私たち一人ひとりの中に、のばされるべき可能性の核がある。自己弁護や、自己正当化、自己欺瞞、見栄、虚栄、そ んなものでじゃましてちゃもったいないよね。若い時は、ダメな 性質が極端にでがちなものだから、特に注意せねばならない。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2011年12月5日月曜日
赤毛のアン症候群。自分が一番イヤだと思っている特徴が、実はチャームポイントになることがある
あじ(1)『赤毛のアン』(Anne of Green Gables)を小学校のときに読んで好きになり、高校では英語で全部読んだ。プリンスエドワード島にも行った。というような過去をカミングアウトしたの は数年前のことであるが、この小説にはいろいろ面白いところがある。
あじ(2)名作というのはなんでもそうで、あとで「はっ」と気付くことがたくさんある。ずっとあとになって「なるほどな」と思ったのが、アンの赤毛。本人 はこれがイヤで仕方がない。自分の人生の、致命的な欠点だと思っている。赤毛であるかぎり、完璧な世の中などないとさえ。
あじ(3)ところが、周囲から見ると、そうでもない。むしろ、赤毛はアンの魅力でもある。自分から見るとイヤで仕方がない自分の特徴が、他人から見れば魅力的なポイントであること。このギャップを、「赤毛のアン症候群」と名付けよう。
あじ(4)後にアンと結婚することになるギルバートも、ひと目見てアンを素敵だと思ったのである。男の子が好きな女の子に対してよくやるように、ギルバー トも、その魅力的な特徴であるアンの赤い髪の毛をひっぱったのであるが、これが、数年間にわたる「冷戦」を引き起こすきっかけとなった。
あじ(5)アンからすれば、自分という存在の最大にして拭いがたい欠点である「赤毛」を、ギルバートにからかわれたと思ったのである。たしかに、ギルバートは引っ張りながら「ニンジン!」と言ったのであるが、それは、 単なるたとえにすぎなかったのである。
あじ(6)他人から見ればそれほどイヤではなく、むしろ魅力的な特徴なのに、本人がそれを気にして、隠したい、穴があったら入りたいと思っている。これは、アン・シャーリーだけでなく、さまざまな人に当てはまりそうだ。
あじ(7)私の場合でいえば、くせ毛。絶対に夜は洗わない。翌日、ぴょんぴょんしてしまうからだ。小学校の頃、髪の毛が飛び跳ねていやでたまらなかった。さらさらヘアの伊草孝志とかが、うらやましくて仕方がなかった。
あじ(8)そのもじゃもじゃの髪が、そのうち、そんなに悪くもないんだと思えてきたのは、思春期も最後の方になってからだった。もじゃもじゃの髪という自分の「特徴」を、最大の欠点と思っていた自分から開放されたのである。
あじ(9)「赤毛のアン症候群」は、思春期において特に顕著に表れるのかもしれないが、何歳になっても無縁ではないだろう。国全体としても。たとえば、日本人。自分たちが恥ずかしくて隠したいと思いがちな日本文化の特徴が、外国から見れば実は一番魅力的なのである。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
あじ(2)名作というのはなんでもそうで、あとで「はっ」と気付くことがたくさんある。ずっとあとになって「なるほどな」と思ったのが、アンの赤毛。本人 はこれがイヤで仕方がない。自分の人生の、致命的な欠点だと思っている。赤毛であるかぎり、完璧な世の中などないとさえ。
あじ(3)ところが、周囲から見ると、そうでもない。むしろ、赤毛はアンの魅力でもある。自分から見るとイヤで仕方がない自分の特徴が、他人から見れば魅力的なポイントであること。このギャップを、「赤毛のアン症候群」と名付けよう。
あじ(4)後にアンと結婚することになるギルバートも、ひと目見てアンを素敵だと思ったのである。男の子が好きな女の子に対してよくやるように、ギルバー トも、その魅力的な特徴であるアンの赤い髪の毛をひっぱったのであるが、これが、数年間にわたる「冷戦」を引き起こすきっかけとなった。
あじ(5)アンからすれば、自分という存在の最大にして拭いがたい欠点である「赤毛」を、ギルバートにからかわれたと思ったのである。たしかに、ギルバートは引っ張りながら「ニンジン!」と言ったのであるが、それは、 単なるたとえにすぎなかったのである。
あじ(6)他人から見ればそれほどイヤではなく、むしろ魅力的な特徴なのに、本人がそれを気にして、隠したい、穴があったら入りたいと思っている。これは、アン・シャーリーだけでなく、さまざまな人に当てはまりそうだ。
あじ(7)私の場合でいえば、くせ毛。絶対に夜は洗わない。翌日、ぴょんぴょんしてしまうからだ。小学校の頃、髪の毛が飛び跳ねていやでたまらなかった。さらさらヘアの伊草孝志とかが、うらやましくて仕方がなかった。
あじ(8)そのもじゃもじゃの髪が、そのうち、そんなに悪くもないんだと思えてきたのは、思春期も最後の方になってからだった。もじゃもじゃの髪という自分の「特徴」を、最大の欠点と思っていた自分から開放されたのである。
あじ(9)「赤毛のアン症候群」は、思春期において特に顕著に表れるのかもしれないが、何歳になっても無縁ではないだろう。国全体としても。たとえば、日本人。自分たちが恥ずかしくて隠したいと思いがちな日本文化の特徴が、外国から見れば実は一番魅力的なのである。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2011年12月4日日曜日
『巨人の星』に見られるように、「道」は日本人にとって空気のように自然なことであった
きみ(1)私が子どもの頃に大いに影響を受けた作品の一つに、アニメ『巨人の星』がある。土曜の19時から日本テレビで。ちょうど小学校に上がる頃に放映されていた。父がいると、「七時のニュース」に換えられてしまうので、悲しかった。
きみ(2)なぜ『巨人の星』に惹き付けられたのかと言えば、「自分を乗りこえていく」その克己の精神に共鳴したのではないかと思う。今の自分の限界を超えて、新しい自分になる。そのプロセスで凄まじいまでの努力をする。その感覚が、6歳くらいの私に、ちょうどはまった。
きみ(3)星飛雄馬は、大リーグボール養成ギブスをつけて剛速球投手になる。しかし、欠点があった。体重が小さいため、球質が軽いのだ。ピッチャーとして致命的な欠陥。野球選手としての生命が危うくなるが、ここであきらめるような飛雄馬ではない。
きみ(4)飛雄馬は、禅寺にこもって座禅する。何度も打たれてしまう。老師に、「打たれまいと思うから打たれる。打たれてもかまわない、いや一歩進んで打ってもらおう。そう思って開き直った時に道が開ける」と諭される。
きみ(5)老師の言葉がヒントとなって、相手のバットめがけて球を投げる魔球、大リーグボール1号ができあがる。荒唐無稽なフィクションだけれども、子どもの頃、本当にできると思って仲間たちと練習した。オレたちはそのとき本気だった。
きみ(6)『巨人の星』は、スポーツを、自己鍛錬の「道」としてとらえる。今の自分の限界を見つめ、それを乗りこえようとすること。『アタックナンバー 1』でも、『エースをねらえ』でも、『キャプテン翼』でも、日本人にとってはスポーツが「道」であることは、ごく自然な感覚である。
きみ(7)だから、以前ロサンジェルズタイムズの記者に真顔で聞かれて驚いた。「日本人は、なぜ野球選手に人生哲学を聞こうと思うのか? アメリカでは、彼らはアスリートでエンターティナーではあるけど、その哲学を聞こうとは思わない」と言われたのだ。
きみ(8)今の自分を乗りこえて、それを克服していこうという態度。それが、スポーツにおいてごく自然に結びつくのは、日本人が特に強く持っている一つの文化的態度であり、それが空気のように自然なので、私たちはその価値をふだんは忘れてしまっている。
きみ(9)スティーヴ・ジョブズが禅宗の僧侶に「心を整える」ことを教えられて活かしたように、最近ではむしろ国外から日本の「道」の伝統の良さを教わる ことも増えてきた。ネット上で、他人を揶揄、批判して低コストの満足を得る人が増えてきているのを見ると、日本の「道」もどうやら危うい。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
きみ(2)なぜ『巨人の星』に惹き付けられたのかと言えば、「自分を乗りこえていく」その克己の精神に共鳴したのではないかと思う。今の自分の限界を超えて、新しい自分になる。そのプロセスで凄まじいまでの努力をする。その感覚が、6歳くらいの私に、ちょうどはまった。
きみ(3)星飛雄馬は、大リーグボール養成ギブスをつけて剛速球投手になる。しかし、欠点があった。体重が小さいため、球質が軽いのだ。ピッチャーとして致命的な欠陥。野球選手としての生命が危うくなるが、ここであきらめるような飛雄馬ではない。
きみ(4)飛雄馬は、禅寺にこもって座禅する。何度も打たれてしまう。老師に、「打たれまいと思うから打たれる。打たれてもかまわない、いや一歩進んで打ってもらおう。そう思って開き直った時に道が開ける」と諭される。
きみ(5)老師の言葉がヒントとなって、相手のバットめがけて球を投げる魔球、大リーグボール1号ができあがる。荒唐無稽なフィクションだけれども、子どもの頃、本当にできると思って仲間たちと練習した。オレたちはそのとき本気だった。
きみ(6)『巨人の星』は、スポーツを、自己鍛錬の「道」としてとらえる。今の自分の限界を見つめ、それを乗りこえようとすること。『アタックナンバー 1』でも、『エースをねらえ』でも、『キャプテン翼』でも、日本人にとってはスポーツが「道」であることは、ごく自然な感覚である。
きみ(7)だから、以前ロサンジェルズタイムズの記者に真顔で聞かれて驚いた。「日本人は、なぜ野球選手に人生哲学を聞こうと思うのか? アメリカでは、彼らはアスリートでエンターティナーではあるけど、その哲学を聞こうとは思わない」と言われたのだ。
きみ(8)今の自分を乗りこえて、それを克服していこうという態度。それが、スポーツにおいてごく自然に結びつくのは、日本人が特に強く持っている一つの文化的態度であり、それが空気のように自然なので、私たちはその価値をふだんは忘れてしまっている。
きみ(9)スティーヴ・ジョブズが禅宗の僧侶に「心を整える」ことを教えられて活かしたように、最近ではむしろ国外から日本の「道」の伝統の良さを教わる ことも増えてきた。ネット上で、他人を揶揄、批判して低コストの満足を得る人が増えてきているのを見ると、日本の「道」もどうやら危うい。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2011年12月3日土曜日
システムは揺るがず、反逆は青ざめる
しは(1)名古屋から帰ってくる新幹線の車内で、まずはみそかつえびふりゃー弁当をたべ、それから新潮社の金寿喚さんとよしなしごとを話ながら帰ってきた。東京まで約90分。いろいろ話すことがあったので、あっという間についた。
しは(2)新書の企画のことなど、いろいろなことを話す中で、「システム」の話になった。何かまだ名付けられていないものがある。さまざまなできごとが あっても、あっという間に吸収され、陳腐化し、忘れられてしまう。「システム」に対する態度をどうするかが、私たちの課題になる。
しは(3)Googleは一つのシステムである。梅田望夫さんが指摘されたように、私たちがいろいろな活動をする中で、googleは次第に賢くなっていく。すべては検索の空間の中で消費され、連絡され、そして私たちはそこにぶらさがるノードになる。
しは(4)資本主義も、一つの強固なシステムである。社会主義的な考えかたさえ、自分の中に取り入れてより強固なものとした。環境思想など、資本主義に対する挑戦として表れた動きは、やがて回収、吸収されて資本主義を増強する結果となる。
しは(5)しかし、私たちを取り囲んでいる「システム」は、資本主義や「google」をその中に含むが、より包括的で強固な、未だ名付けられていないものなのではないか。それは個々の国家さえも超えて、一つの分かちがたい存在を、この地球上に現出させている。
しは(6)ウィキリークスが登場したとき、国家というものの存在が揺らぐように感じられた。ノーベル平和賞の権威を中国が拒否した時、価値の体系を無視し て動く主体の登場を見た。アラブの春が、新時代の到来を告げた。しかし、これらの全ての動きも、やがて「システム」に回収される。
しは(7)フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を書いたが、今、世界は確かに一つの「終わり」を迎えている。主権国家も、「システム」の一構成要素で しかない。アメリカやロシアの大統領が「権力者」であると言い方は、茶番のようにさえ見える。彼らもまた、システムにぶら下がるか弱き子羊。
しは(8)核保有国の指導者たちは、理論的にはボタン一つで全面核戦争を起こす力を持つが、そのような状況が継続していることと、彼らが一市民と何ら変わ らない、システムにぶらさがる脆弱な人間であることの間で、喜劇が演じられている。大国の大統領だって、翻弄される木の葉に過ぎぬ。
しは(9)システムへの反逆は、若者の特権だったが、資本主義の打倒やインターネットへの反対運動が無効であること以上に、反逆が意味を持たないシステム が、世界を覆いつつある。その正体が何なのか、まだ誰も名前をつけていない。それはグローバル化の必然的帰結なのだろう。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
しは(2)新書の企画のことなど、いろいろなことを話す中で、「システム」の話になった。何かまだ名付けられていないものがある。さまざまなできごとが あっても、あっという間に吸収され、陳腐化し、忘れられてしまう。「システム」に対する態度をどうするかが、私たちの課題になる。
しは(3)Googleは一つのシステムである。梅田望夫さんが指摘されたように、私たちがいろいろな活動をする中で、googleは次第に賢くなっていく。すべては検索の空間の中で消費され、連絡され、そして私たちはそこにぶらさがるノードになる。
しは(4)資本主義も、一つの強固なシステムである。社会主義的な考えかたさえ、自分の中に取り入れてより強固なものとした。環境思想など、資本主義に対する挑戦として表れた動きは、やがて回収、吸収されて資本主義を増強する結果となる。
しは(5)しかし、私たちを取り囲んでいる「システム」は、資本主義や「google」をその中に含むが、より包括的で強固な、未だ名付けられていないものなのではないか。それは個々の国家さえも超えて、一つの分かちがたい存在を、この地球上に現出させている。
しは(6)ウィキリークスが登場したとき、国家というものの存在が揺らぐように感じられた。ノーベル平和賞の権威を中国が拒否した時、価値の体系を無視し て動く主体の登場を見た。アラブの春が、新時代の到来を告げた。しかし、これらの全ての動きも、やがて「システム」に回収される。
しは(7)フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を書いたが、今、世界は確かに一つの「終わり」を迎えている。主権国家も、「システム」の一構成要素で しかない。アメリカやロシアの大統領が「権力者」であると言い方は、茶番のようにさえ見える。彼らもまた、システムにぶら下がるか弱き子羊。
しは(8)核保有国の指導者たちは、理論的にはボタン一つで全面核戦争を起こす力を持つが、そのような状況が継続していることと、彼らが一市民と何ら変わ らない、システムにぶらさがる脆弱な人間であることの間で、喜劇が演じられている。大国の大統領だって、翻弄される木の葉に過ぎぬ。
しは(9)システムへの反逆は、若者の特権だったが、資本主義の打倒やインターネットへの反対運動が無効であること以上に、反逆が意味を持たないシステム が、世界を覆いつつある。その正体が何なのか、まだ誰も名前をつけていない。それはグローバル化の必然的帰結なのだろう。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2011年12月2日金曜日
それぞれのみじめさを持ち寄ったら、自分のみじめさを持ち帰りたくなる
そじ(1)日本の国には、さまざまな問題点がある。新卒一括採用。インターネット、グローバル化の時代にそぐわない大学入試。日本をよくするために、これらの課題に取り組むことは大切なこととして、世界の中で、日本だけがみじめなのかと言えば、そんなことはない。
そじ(2)心理的な遠近感というものがあり、遠くのものは、良い部分がよく見える。自分自身のことは、悪いところがよく見える。公平に見て、日本が抱えているみじめさは、アメリカやイギリス、中国が抱えているさほど 変わらないだろう。大切なのは、行き交うことなのだ。
そじ(3)アメリカ人と話していると、ワシントンの連邦政府に対して、日本の霞ヶ関と同じくらい激烈に批判するし、教育システムについても、日本の文科省と同じくらいにサイテーだと言う。自分の国のことは、いろいろとアラが目立つのだ。
そじ(4)イギリス人と話していると、イギリスの社会がいかに腐敗して、ダメになっているかとよく話す。「日本人はとりわけ自虐的」だというのは全くの俗 説で、どの国でも心ある人たちは現状を嘆き、憤慨している。ただ、遠近法の中で、そのようなマイナスの要素は消えていってしまうのだ。
そじ(5)交易という視点から見れば、ダメなところを交換しても仕方がない。だからこそ、遠くの人の良いところを、見つけようとする。結果として、うちに 籠もった忿怒のエネルギーは抜けていってしまう。隣りの芝生が青く見えるのは、グローバルな交換経済のいわば宿命である。
そじ(6)日本の国のよいところも、遠近法で外に出ると初めてわかる。人の営みと自然が調和した「里山」の景観や、「おまかせ」という料理の提供の仕方、さまざまなクオリアに対する感受性など、外から遠くから見て、はじめてわかる日本の良さがある。
そじ(7)大切なのは、遠近法である。そして、内側からの視点ではなく、「遠く」から見てなおも残り、際だつ問題点こそが、その国の本当の課題である。私は、「新卒一括採用」や「大学入試」の問題は、遠くから見てもなおも目立つ日本の問題点だと、一貫して考えている。
そじ(8)ところで、私たちが、それぞれのみじめさを持ち寄ったとしたらどうだろう。イギリス人はイギリスの、アメリカ人はアメリカの、日本人は日本の社 会のみじめさを持ち寄る。お互いに見比べて、さて、交換しますかと言われたら、私たちは、むしろ自分たちのみじめさを持ち帰るのではないか。
そじ(9)他の国のみじめさには、自分たちの身体や歴史が反映されていない。日本のみじめさには、私たちの大切な文化や履歴が映し出される。だからこそ、 私たちは、自分たちのみじめさを抱きしめる。大切に持って帰る。どんなにみじめでも、それが私たち。自分たちでなんとかするしかない。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
そじ(2)心理的な遠近感というものがあり、遠くのものは、良い部分がよく見える。自分自身のことは、悪いところがよく見える。公平に見て、日本が抱えているみじめさは、アメリカやイギリス、中国が抱えているさほど 変わらないだろう。大切なのは、行き交うことなのだ。
そじ(3)アメリカ人と話していると、ワシントンの連邦政府に対して、日本の霞ヶ関と同じくらい激烈に批判するし、教育システムについても、日本の文科省と同じくらいにサイテーだと言う。自分の国のことは、いろいろとアラが目立つのだ。
そじ(4)イギリス人と話していると、イギリスの社会がいかに腐敗して、ダメになっているかとよく話す。「日本人はとりわけ自虐的」だというのは全くの俗 説で、どの国でも心ある人たちは現状を嘆き、憤慨している。ただ、遠近法の中で、そのようなマイナスの要素は消えていってしまうのだ。
そじ(5)交易という視点から見れば、ダメなところを交換しても仕方がない。だからこそ、遠くの人の良いところを、見つけようとする。結果として、うちに 籠もった忿怒のエネルギーは抜けていってしまう。隣りの芝生が青く見えるのは、グローバルな交換経済のいわば宿命である。
そじ(6)日本の国のよいところも、遠近法で外に出ると初めてわかる。人の営みと自然が調和した「里山」の景観や、「おまかせ」という料理の提供の仕方、さまざまなクオリアに対する感受性など、外から遠くから見て、はじめてわかる日本の良さがある。
そじ(7)大切なのは、遠近法である。そして、内側からの視点ではなく、「遠く」から見てなおも残り、際だつ問題点こそが、その国の本当の課題である。私は、「新卒一括採用」や「大学入試」の問題は、遠くから見てもなおも目立つ日本の問題点だと、一貫して考えている。
そじ(8)ところで、私たちが、それぞれのみじめさを持ち寄ったとしたらどうだろう。イギリス人はイギリスの、アメリカ人はアメリカの、日本人は日本の社 会のみじめさを持ち寄る。お互いに見比べて、さて、交換しますかと言われたら、私たちは、むしろ自分たちのみじめさを持ち帰るのではないか。
そじ(9)他の国のみじめさには、自分たちの身体や歴史が反映されていない。日本のみじめさには、私たちの大切な文化や履歴が映し出される。だからこそ、 私たちは、自分たちのみじめさを抱きしめる。大切に持って帰る。どんなにみじめでも、それが私たち。自分たちでなんとかするしかない。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2011年12月1日木曜日
新卒一括採用に対して宣戦布告
しせ(1)12月1日、先端技術が行き渡り、魅力的な文化を持ち世界から注目されるクールな国で、世界でも類を見ない奇妙な風習が始まる。判で押したよう な服装の学生たちが、神妙な顔で電車に乗っている。パソコンの前では、「エントリーシート」という謎の書類に取り組む若者がちが。
しせ(2)日本の「新卒一括採用」は、経済合理性がないだけでなく、多様な人材を育むという経済のイノベーションの原理にも反し、非典型的なキャリアの人に対から就業の機会を奪う、違法の疑いが極めて濃厚な、恥ずべき愚行である。
しせ(3)コンプライアンスという視点から見ても大いに疑問がある新卒一括採用という抑圧のシステムに乗って利益を上げるコンサルタントや、関連企業がある。CSRの観点からは、非典型的なキャリアの方に就業機会を与える活動に、一定のリソースを振り向けるべきだ。
しせ(4)3年の途中から始まる「新卒一括採用」は、そもそも大学で行われる専門教育を軽んじている。就活の片手間に出来るほど、学問というものは甘いものではない。大学における教育、研究に多少なりともかかわる人間として、新卒一括採用という愚行は看過できない。
しせ(5)新卒一括採用は、企業経営という視点から見て、合理性を根本的に欠いている。ジョブズが言う「点」と「点」を結ぶような人材は、むしろ、卒業後諸外国を見てきたり、さまざまな経験をしてきた人から生まれる。羊の群れのように従順に進んでいく人ばかり集めて、どうするというのだろう。
しせ(6)新卒一括採用のせいで、大学の学生たちは極端な抑圧の空気の中にある。いちばん学問をしたい時にできない。見聞を広めようとしても、就職に不利だからとあきらめる。そのことによる機会費用、見逃されたチャンスは膨大であり、国益に深刻な損害を与えている。
しせ(7)雨宮さんに聞いたのだけど、就活打倒デモをしていると、「デモをするくらいなら就活しろ」とヤジが飛んでくるのだという。学生は「就活するくらいならデモをしろ」と言い返したそうだ。その通り。時代遅れの就活に付き合っていたら、日本の社会的イノベーションは停滞してしまう。
しせ(8)日本が、インターネット、グローバル化という文明の波に適応できていないことは誰もが見る通り。ガラパゴス化を深刻にする新卒一括採用を続けて、国を滅ぼしたいのだろうか。多様な人材が、さまざまなキャリア パスを通れるようにして、初めて日本は復活への道をたどることができる。
しせ(9)結論。新卒一括採用は、大学での学問をないがしろにし、若者を抑圧するだけでなく、日本の国益を本質的に損なう。ここに、関係者の良識に訴えかけるとともに、新卒一括採用の打破に向けて、「宣戦布告」をするものである。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
しせ(2)日本の「新卒一括採用」は、経済合理性がないだけでなく、多様な人材を育むという経済のイノベーションの原理にも反し、非典型的なキャリアの人に対から就業の機会を奪う、違法の疑いが極めて濃厚な、恥ずべき愚行である。
しせ(3)コンプライアンスという視点から見ても大いに疑問がある新卒一括採用という抑圧のシステムに乗って利益を上げるコンサルタントや、関連企業がある。CSRの観点からは、非典型的なキャリアの方に就業機会を与える活動に、一定のリソースを振り向けるべきだ。
しせ(4)3年の途中から始まる「新卒一括採用」は、そもそも大学で行われる専門教育を軽んじている。就活の片手間に出来るほど、学問というものは甘いものではない。大学における教育、研究に多少なりともかかわる人間として、新卒一括採用という愚行は看過できない。
しせ(5)新卒一括採用は、企業経営という視点から見て、合理性を根本的に欠いている。ジョブズが言う「点」と「点」を結ぶような人材は、むしろ、卒業後諸外国を見てきたり、さまざまな経験をしてきた人から生まれる。羊の群れのように従順に進んでいく人ばかり集めて、どうするというのだろう。
しせ(6)新卒一括採用のせいで、大学の学生たちは極端な抑圧の空気の中にある。いちばん学問をしたい時にできない。見聞を広めようとしても、就職に不利だからとあきらめる。そのことによる機会費用、見逃されたチャンスは膨大であり、国益に深刻な損害を与えている。
しせ(7)雨宮さんに聞いたのだけど、就活打倒デモをしていると、「デモをするくらいなら就活しろ」とヤジが飛んでくるのだという。学生は「就活するくらいならデモをしろ」と言い返したそうだ。その通り。時代遅れの就活に付き合っていたら、日本の社会的イノベーションは停滞してしまう。
しせ(8)日本が、インターネット、グローバル化という文明の波に適応できていないことは誰もが見る通り。ガラパゴス化を深刻にする新卒一括採用を続けて、国を滅ぼしたいのだろうか。多様な人材が、さまざまなキャリア パスを通れるようにして、初めて日本は復活への道をたどることができる。
しせ(9)結論。新卒一括採用は、大学での学問をないがしろにし、若者を抑圧するだけでなく、日本の国益を本質的に損なう。ここに、関係者の良識に訴えかけるとともに、新卒一括採用の打破に向けて、「宣戦布告」をするものである。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
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