そい(1)朝日カルチャーが終わって、飲み会があって、解散になったとき、誰かがきたからそっちに行こうと思ったら、ガードレールですってんころりんした。植田工が見ていて、「茂木さん敏捷!」とか言ってたけど、そういう問題じゃなくてすりむいて血も出るんだよ!
そい(2)怪我をすることもあれば、心の交通事故もある。先日はイヤなことがあって、突然2時間歩いたな。生きていればいろいろある。それでも仕事は来るし、移動もしなければならない。今日は、釧路に行くわけなんだけれどもね。ツルさん、待っていてください。
そい(3)昨日、大林宣彦監督の『この空の花』の初号試写会で、となりに伊勢正三さんがいてびっくりした。本当に楽曲を尊敬している。それで、アサカルの 時に『22才の別れ』をみんなで聞いた。いい曲だよね。 芸術って、みんなを本当に深いところで癒すためにあるんじゃないかな。
そい(4)人間が意識を持って、いつかは死ぬということも認識してしまって、そしたら辛いから、この世界にないもの(「芸術」)を創った。それだけではな い。一般に、「創造」することの中には、生きることを根底から癒す側面がある。だからこそ、大林監督だって映画を作り続けるわけだし。
そい(5)日本人が元気がないのはね、新しいことに挑戦していないからじゃないかな、と思う。チャレンジ精神を失ったとかそういうことじゃなくて、事実において挑戦を続けていない。だから、閉塞しちゃうんだよね。朝から晩まで、新しいことに向き合っていけばいいのにね。
そい(6)ぼくは、40歳になったとき、突然フルマラソンに出た。2010年に48歳になったとき、これからの12年間は、生まれてから小学校卒業までみたいな感じで生きてやろう、と思った。ああいうのは、バネなんだろうね。生命の危機が来たときに、生きるためのバネ。
そい(7)20歳くらいのときに、悲しいことがあったとき、『トリスタンとイゾルデ』ばかり聴いていたわけだけど、深いところで癒されるんだよね。本物の 芸術には、人を根底から救うことがある。それも、現実から逃避するんじゃなくて、むしろリアリティそのものの中に突っ込んでいくんだ。
そい(8)子どもだまし、なんて言うけどね、子どもは本当はこの世のありさまをよく知っているんじゃないかな。何しろ生きているということが驚異だと言うことを良くわかっているし。この世界に生まれたびっくりの記憶が新しいわけだから、死だって本当は近しい。
そい(9)すってんころりんで怪我をした翌日、創造することだけが生きることだと改めて思うわけです。こんな朝早くから、睡眠不足の頭を抱えて、釧路に飛 ぶために羽田に向かっている。すってんころりんしようがしなかろうが、仕事は向こうからやってくるよ。逃げるわけにはいかない。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2012年1月14日土曜日
2012年1月13日金曜日
「これはどうみても、ビョーキだよ」といいたくなることがあったら、その前提を疑った方がいい。
こび(1)iPhoneのSiriはすごいけれども、会話のTuring testに合格するほどではない。雑談は大切。友人との何気ない会話の中に、いろんなヒントがある。昨日も、親友の某と酒場で雑談していて、いろいろ楽しかったなあ。
こび(2)親友は大学に勤めていて、いろいろ面白いことを教えてくれる。一度、彼の授業に潜り込んだら、学生の一人が何やらメールで不出来をしでかしたら しく、大学のメールアドレスが全部停止になったと言って怒っていた。「いいですか、みなさん、こんなことを許したらいけないんですよ」
こび(3)「たとえば、松山市から来た郵便で犯罪が行われたからと言って、松山の住所を使用停止にしますか? それくらい、これはナンセンスなことなんですよ。」ぼくは、あいつらしい修辞だなあ、と思って聞いていたが、昨日は授業の「シラバス」のことであった。
こび(4)「シラバス」について文句を言う大学教員は多い。ぼくが学生の時に受けた西洋史の木村尚三郎さんの講義はずっと雑談で、それが滅法面白かった。 それで何の不具合もなかったし、シラバスの「シ」の字も当時はなかった。それがアメリカでやっているからとマネし始めたのが、間違いの始まり。
こび(5)だいたい、日本は自分で考えたことじゃないことを輸入して失敗することが多い。企業のコンプライアンスも同様。要するに元々の精神がわかってい ないで形式だけ輸入するから、とんちんかんで出来損ないの人工知能のようなことになる。大学のシラバスも同じ危険がある。
こび(6)親友はMITにいたことがあるが、そのシラバスは、要するに提供されている授業がものすごく沢山あるから、「面白いよ」という宣伝のようなもの だという。なるほど、競争の中で学生を呼び込む文だったら意味があるし、MITの教授は、「シラバス通りなんてやらないよ」と言っていたという。
こび(7)「シラバスは、要するにこういう風に授業をするというモデルのようなもので、実際にやってみて、学生の反応その他で、内容が変わることは当然あ る」。MITの教授の言葉は、実にまっとうで、当たり前のことだけれど、親友によると日本の大学では往々にしてそうならない。
こび(8)シラバスを、まるで、生産過程における品質管理、チェックリストのようなとらえ方で教員を縛り付けようとする。具体的にどのようなことをするの かと書くと、「あっ、それはいい」とマネをする負のスパイラルになるから書かないが、親友の話を聞いていて、笑ってしまうと同時にこわくなった。
こび(9)日本の社会の中で、「管理」をしようとすると大体失敗している。「コンプライアンス」も「シラバス」も、あるいは「憲法」も、元々の精神を理解 しないで輸入するからとんちんかんになる。「これはどうみても、ビョーキだよ」といいたくなることがあったら、その前提を疑った方がいい。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
こび(2)親友は大学に勤めていて、いろいろ面白いことを教えてくれる。一度、彼の授業に潜り込んだら、学生の一人が何やらメールで不出来をしでかしたら しく、大学のメールアドレスが全部停止になったと言って怒っていた。「いいですか、みなさん、こんなことを許したらいけないんですよ」
こび(3)「たとえば、松山市から来た郵便で犯罪が行われたからと言って、松山の住所を使用停止にしますか? それくらい、これはナンセンスなことなんですよ。」ぼくは、あいつらしい修辞だなあ、と思って聞いていたが、昨日は授業の「シラバス」のことであった。
こび(4)「シラバス」について文句を言う大学教員は多い。ぼくが学生の時に受けた西洋史の木村尚三郎さんの講義はずっと雑談で、それが滅法面白かった。 それで何の不具合もなかったし、シラバスの「シ」の字も当時はなかった。それがアメリカでやっているからとマネし始めたのが、間違いの始まり。
こび(5)だいたい、日本は自分で考えたことじゃないことを輸入して失敗することが多い。企業のコンプライアンスも同様。要するに元々の精神がわかってい ないで形式だけ輸入するから、とんちんかんで出来損ないの人工知能のようなことになる。大学のシラバスも同じ危険がある。
こび(6)親友はMITにいたことがあるが、そのシラバスは、要するに提供されている授業がものすごく沢山あるから、「面白いよ」という宣伝のようなもの だという。なるほど、競争の中で学生を呼び込む文だったら意味があるし、MITの教授は、「シラバス通りなんてやらないよ」と言っていたという。
こび(7)「シラバスは、要するにこういう風に授業をするというモデルのようなもので、実際にやってみて、学生の反応その他で、内容が変わることは当然あ る」。MITの教授の言葉は、実にまっとうで、当たり前のことだけれど、親友によると日本の大学では往々にしてそうならない。
こび(8)シラバスを、まるで、生産過程における品質管理、チェックリストのようなとらえ方で教員を縛り付けようとする。具体的にどのようなことをするの かと書くと、「あっ、それはいい」とマネをする負のスパイラルになるから書かないが、親友の話を聞いていて、笑ってしまうと同時にこわくなった。
こび(9)日本の社会の中で、「管理」をしようとすると大体失敗している。「コンプライアンス」も「シラバス」も、あるいは「憲法」も、元々の精神を理解 しないで輸入するからとんちんかんになる。「これはどうみても、ビョーキだよ」といいたくなることがあったら、その前提を疑った方がいい。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2012年1月12日木曜日
誰にだって劣等感はあるわな
だれ(1)そもそも人間というものは、最大の欠点の近くに最大の長所があるもの。私で言えば、落ち着きがないという欠点があるからこそ、すぐにぱっと切り 替えていろいろなことができるという長所もある。ところが、人間は、自分の欠点(だと思い込んでいるもの)に劣等感をいだきがちである。
だれ(2)驚くのは、誰が見てもきれいなモデルさんが、自分の顔の特徴の一部を気に入らない、恥ずかしいと思っていたりする。他人から見ればうらやましい 人でも、劣等感を抱く。デカルトは、良識は万人に与えられていると書いたが、劣等感は、万人に平等に与えられているというのが世の真実。
だれ(3)誰がどうみても大成功を収めた天才的な役者さんが、「私は学歴がないので」と謙遜したりする。一方で、いい大学を出ても、「あの大学を出てこの程度か」と思われることが劣等感になったりする。学歴は、持っていても、持っていなくても、劣等感の元になりうる。
だれ(4)普通の家に生まれた人は、家柄がいい人を、「さすがだ、かなわない」と思ったりする。一方で、代々続く家柄に生まれついた人は、何をしても七光 りと思われるのではないかと考えてしまう。本当は自分の才覚でも、「あの人は何代目だから」と思われるのではないかと感じてしまう。
だれ(5)美人を見ると、「ああ、きれいでいいな」と劣等感を抱く。ところが、美人は美人で、「私の中身を見てくれない。私の外見だけが目当てで近づいてくるんだ」と考えてしまう。お金持ちはうらやましいが、逆にお金持ちは、「金が目当てなんじゃないか」と考えてしまう。
だれ(6)つまり、劣等感というものは、何かを持っていたとしても、あるいは持っていなかったとしても生じてしまうものである。だからこそ、万人に平等に 与えられている。だとすれば、そういうものだと諦めて、開き直ってしまうのが一番良い。劣等感は、むしろ、個性の認識である。
だれ(7)劣等感のやっかいなところは、それを意識し過ぎるとコミュニケーションがうまく行かないところ。しかし、抑圧しようとすればするほどダメになる。だから、思い切って認めて、カミングアウトしてしまうのがいい。ユーモアで語れれば、もっと素晴らしい。
だれ(8)コミュニケーションは、対称的なときにうまく行く。誰だって劣等感を持っているんだから、お互い人間だ、そういうことくらいあらあね、とおおら かに認め合うことで、腹を割って話し合うことができる。だからこそ、「持っている」人にも劣等感があることを認識することが大切。
だれ(9)日本人は、欧米に対してずっと劣等感を持ってきた。だからコミュニケーションが非対称になってうまく行かない。あっちだって同じくらい劣等感を 持っているんだ、と気づいたときにトモダチになれる。人間、どんな文化の人だって、そんなに変わりはしないわな。だって、人間だもの。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
だれ(2)驚くのは、誰が見てもきれいなモデルさんが、自分の顔の特徴の一部を気に入らない、恥ずかしいと思っていたりする。他人から見ればうらやましい 人でも、劣等感を抱く。デカルトは、良識は万人に与えられていると書いたが、劣等感は、万人に平等に与えられているというのが世の真実。
だれ(3)誰がどうみても大成功を収めた天才的な役者さんが、「私は学歴がないので」と謙遜したりする。一方で、いい大学を出ても、「あの大学を出てこの程度か」と思われることが劣等感になったりする。学歴は、持っていても、持っていなくても、劣等感の元になりうる。
だれ(4)普通の家に生まれた人は、家柄がいい人を、「さすがだ、かなわない」と思ったりする。一方で、代々続く家柄に生まれついた人は、何をしても七光 りと思われるのではないかと考えてしまう。本当は自分の才覚でも、「あの人は何代目だから」と思われるのではないかと感じてしまう。
だれ(5)美人を見ると、「ああ、きれいでいいな」と劣等感を抱く。ところが、美人は美人で、「私の中身を見てくれない。私の外見だけが目当てで近づいてくるんだ」と考えてしまう。お金持ちはうらやましいが、逆にお金持ちは、「金が目当てなんじゃないか」と考えてしまう。
だれ(6)つまり、劣等感というものは、何かを持っていたとしても、あるいは持っていなかったとしても生じてしまうものである。だからこそ、万人に平等に 与えられている。だとすれば、そういうものだと諦めて、開き直ってしまうのが一番良い。劣等感は、むしろ、個性の認識である。
だれ(7)劣等感のやっかいなところは、それを意識し過ぎるとコミュニケーションがうまく行かないところ。しかし、抑圧しようとすればするほどダメになる。だから、思い切って認めて、カミングアウトしてしまうのがいい。ユーモアで語れれば、もっと素晴らしい。
だれ(8)コミュニケーションは、対称的なときにうまく行く。誰だって劣等感を持っているんだから、お互い人間だ、そういうことくらいあらあね、とおおら かに認め合うことで、腹を割って話し合うことができる。だからこそ、「持っている」人にも劣等感があることを認識することが大切。
だれ(9)日本人は、欧米に対してずっと劣等感を持ってきた。だからコミュニケーションが非対称になってうまく行かない。あっちだって同じくらい劣等感を 持っているんだ、と気づいたときにトモダチになれる。人間、どんな文化の人だって、そんなに変わりはしないわな。だって、人間だもの。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2012年1月11日水曜日
ニュースソースを選ぶことは、重要です
にじ(1)このところ忙しくて、地上波テレビを見る暇があまりなかったのだけれども、先日、飲食店でかかっていたので久しぶりに眺めていたら、改めて 「間」がないことに驚いた。編集で短くどんどんつないでいって、テロップも多用する。まるで真空恐怖症のよう。これはやばいな、と実感した。
にじ(2)バラエティならまだしも、ニュースでこれをやると致命的である。移動しながら時々駅やターミナルでかかっていると、いつも平田容疑者の顔があっ たり、小沢一郎さんの表情がある。大量の情報を、間断なくばーっと流していく。結果として、地上波テレビは洗脳に近い効果を持つ。
にじ(3)旧メディアの人たちは、ネットを玉石混交だと敵視しがちだけれども、メディア・リテラシーという視点からより危険なのは依然として地上波テレビや新聞の方だと思う。金太郎飴のように、同じ情報を大量に送りつける。見ている人は簡単に洗脳されてしまう。
にじ(4)それに、ネットが玉石混交だというのは、チャンネルを選べばそうでもない。最近のニュースはiPad上のflipboardで得る機会が多い が、重要な情報が見事にキュレーションされている。この流れで、時代の最先端を見ていると、日本の旧メディアの遅れぶりが目立つ。
にじ(5)たとえば、小沢氏の裁判のこと。あれほど繰り返し、あたかもそれが重要なことのように報じる意味があるのか。世の中にはもっと重要で、未来につ ながるニュースがたくさんあって、そちらの方がよほど知るべきだと思うのだけれども、そのあたりのバランスは、むしろネットの方が良い。
にじ(6)昨年、私は大学入試のことや、新卒一括採用、記者クラブのことなどについて随分発言したけれども、最近発言の回数が減っているのは、要するに世 界の流れや時代の先端から見れば日本のこのようなことはどうしょうもなく遅れていることで、まあいいや、勝手にしなさいという気分が大きい。
にじ(7)ニュースソースを選ぶことは、重要である。そうでないと、時代の流れに取り残される。別に脅迫するわけではないけれども、本当に面白いことを知 らずに、箱庭の中でちまちましたことを垂れ流しするメディアに付き合うのは、適当にした方がいい。一切見るな、というわけではないけど。
にじ(8)ダメなものは放っておいて、自分にとって面白いこと、チャレンジングなことに向き合う時間を増やしたい。そんな思いが年初からあるが、たまに地 上波のニュース番組を見ると、まるで時代に取り残された缶詰のようで、びっくりすると同時に、それだけ見ている人は本当に危険だなと思う。
にじ(9)たとえば、政策課題について一切論じないで、政局があると元気になる新聞の政治部(政局部)の人たちとか、本当に残念で、ごめん、もうどうでも いいんだよね。言及しなくなったのは、自分をデタッチしてしまったから。きっと、同じ思いの人は、世の中にたくさんいると思う。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
にじ(2)バラエティならまだしも、ニュースでこれをやると致命的である。移動しながら時々駅やターミナルでかかっていると、いつも平田容疑者の顔があっ たり、小沢一郎さんの表情がある。大量の情報を、間断なくばーっと流していく。結果として、地上波テレビは洗脳に近い効果を持つ。
にじ(3)旧メディアの人たちは、ネットを玉石混交だと敵視しがちだけれども、メディア・リテラシーという視点からより危険なのは依然として地上波テレビや新聞の方だと思う。金太郎飴のように、同じ情報を大量に送りつける。見ている人は簡単に洗脳されてしまう。
にじ(4)それに、ネットが玉石混交だというのは、チャンネルを選べばそうでもない。最近のニュースはiPad上のflipboardで得る機会が多い が、重要な情報が見事にキュレーションされている。この流れで、時代の最先端を見ていると、日本の旧メディアの遅れぶりが目立つ。
にじ(5)たとえば、小沢氏の裁判のこと。あれほど繰り返し、あたかもそれが重要なことのように報じる意味があるのか。世の中にはもっと重要で、未来につ ながるニュースがたくさんあって、そちらの方がよほど知るべきだと思うのだけれども、そのあたりのバランスは、むしろネットの方が良い。
にじ(6)昨年、私は大学入試のことや、新卒一括採用、記者クラブのことなどについて随分発言したけれども、最近発言の回数が減っているのは、要するに世 界の流れや時代の先端から見れば日本のこのようなことはどうしょうもなく遅れていることで、まあいいや、勝手にしなさいという気分が大きい。
にじ(7)ニュースソースを選ぶことは、重要である。そうでないと、時代の流れに取り残される。別に脅迫するわけではないけれども、本当に面白いことを知 らずに、箱庭の中でちまちましたことを垂れ流しするメディアに付き合うのは、適当にした方がいい。一切見るな、というわけではないけど。
にじ(8)ダメなものは放っておいて、自分にとって面白いこと、チャレンジングなことに向き合う時間を増やしたい。そんな思いが年初からあるが、たまに地 上波のニュース番組を見ると、まるで時代に取り残された缶詰のようで、びっくりすると同時に、それだけ見ている人は本当に危険だなと思う。
にじ(9)たとえば、政策課題について一切論じないで、政局があると元気になる新聞の政治部(政局部)の人たちとか、本当に残念で、ごめん、もうどうでも いいんだよね。言及しなくなったのは、自分をデタッチしてしまったから。きっと、同じ思いの人は、世の中にたくさんいると思う。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2012年1月10日火曜日
何歳になっても同じだよ。新しいことに感動する限り
なあ(1)昨日、歩いていてふと思ったこと。ぼくは、相手が何歳だろうと、あまり違った人間だと考えていないなあと、逆に言えば、年齢差ということをほと んど人間関係を考える上での参照にしていないことになる。なんでだろう、と思いながらコンビニに入って、ああそうかと思った。
なあ(2)つまり、それは新しいことに向き合うという点において。何歳になっても、自分が知らないこと、経験していないことに向き合っている時に、人は同じ雰囲気をかもし出す。その新鮮なる断面において、あまり何歳だからどうのということは関係ないんだなと思う。
なあ(3)思うに、性別にせよ、年齢にせよ、あるいは「世代論」というやつにせよ、人が人をこうだと決めつけたり、あるいは区別したりするのは、その人が「出来上がった」人だと思うからだろう。しかし、変化という差分において人をとらえれば、みんな同じ人のはずだ。
なあ(4)たとえば、社会的地位が高くて偉い人の前に立つと緊張するけれども、それはその人が出来上がった人だと思うからで、一緒にいちごパフェを食べた りして(なぜいちごパフェなのかわからないけど)「ああ、これはおいしいね」と新鮮な感動を共有する時には同じ人になっている。
なあ(5)一緒に旅行するともうその通りで、どんな年齢の人でも、境遇の人でも、初めてのびっくりに接すると、「全くねえ」などと目を白黒させて驚いている。その新鮮な命の流れにおいては、年齢も性別も年代も地位も名誉もなにもかも関係がないんだなあと思う。
なあ(6)逆に言えば、人間を、もう出来上がった固定したものとして考えるときに、区別も別扱いも何もかも始まるのだろう。もともと血液型人間学には科学 的根拠は何にもないが、O型はこうだ、と決めつけて、変化の躍動に注目しないことで、人は別々のホルダーに入れられていく。
なあ(7)ぼくがケンブリッジ大学でお世話になったホラス・バーロー教授は偉い人だけど、一度面白いことがあった。京都で、たまたま一緒にパチンコ屋に 入ったら、大当たりしてしまった。「ケン、こんなに玉どうするんだ!」と大喜びするホラスの顔。あのとき、同じだなあ、と思ったな。
なあ(8)変化において、みんな平等。ただ、自分はこうだと決めつけたりするのはもったいないし、あるいは、他人がこうだと決めつける人ももったいない。いるよね。決めつけて、説教する人。本当は、一番損をしているのは自分の可能性なんだけどね。
なあ(9)コンビニで買い物を済ませて出る頃には、ぼくの心は決まっていた。そうだよ。新しいことに出会って感動して、変化するということについては、人 間みんな平等。だから、年齢も、性別も、国籍も、年代も、地位も、名誉も関係なく、これからも人間はみな同じと思うことにしよう。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
なあ(2)つまり、それは新しいことに向き合うという点において。何歳になっても、自分が知らないこと、経験していないことに向き合っている時に、人は同じ雰囲気をかもし出す。その新鮮なる断面において、あまり何歳だからどうのということは関係ないんだなと思う。
なあ(3)思うに、性別にせよ、年齢にせよ、あるいは「世代論」というやつにせよ、人が人をこうだと決めつけたり、あるいは区別したりするのは、その人が「出来上がった」人だと思うからだろう。しかし、変化という差分において人をとらえれば、みんな同じ人のはずだ。
なあ(4)たとえば、社会的地位が高くて偉い人の前に立つと緊張するけれども、それはその人が出来上がった人だと思うからで、一緒にいちごパフェを食べた りして(なぜいちごパフェなのかわからないけど)「ああ、これはおいしいね」と新鮮な感動を共有する時には同じ人になっている。
なあ(5)一緒に旅行するともうその通りで、どんな年齢の人でも、境遇の人でも、初めてのびっくりに接すると、「全くねえ」などと目を白黒させて驚いている。その新鮮な命の流れにおいては、年齢も性別も年代も地位も名誉もなにもかも関係がないんだなあと思う。
なあ(6)逆に言えば、人間を、もう出来上がった固定したものとして考えるときに、区別も別扱いも何もかも始まるのだろう。もともと血液型人間学には科学 的根拠は何にもないが、O型はこうだ、と決めつけて、変化の躍動に注目しないことで、人は別々のホルダーに入れられていく。
なあ(7)ぼくがケンブリッジ大学でお世話になったホラス・バーロー教授は偉い人だけど、一度面白いことがあった。京都で、たまたま一緒にパチンコ屋に 入ったら、大当たりしてしまった。「ケン、こんなに玉どうするんだ!」と大喜びするホラスの顔。あのとき、同じだなあ、と思ったな。
なあ(8)変化において、みんな平等。ただ、自分はこうだと決めつけたりするのはもったいないし、あるいは、他人がこうだと決めつける人ももったいない。いるよね。決めつけて、説教する人。本当は、一番損をしているのは自分の可能性なんだけどね。
なあ(9)コンビニで買い物を済ませて出る頃には、ぼくの心は決まっていた。そうだよ。新しいことに出会って感動して、変化するということについては、人 間みんな平等。だから、年齢も、性別も、国籍も、年代も、地位も、名誉も関係なく、これからも人間はみな同じと思うことにしよう。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2012年1月9日月曜日
テレビの未来
てみ(1)機会があって、昔のテレビ番組(『クイズタイムショック』、『ぴったしカン・カン』)を見ていたら、本当に懐かしく、あの頃はテレビが面白かったし、好きだったんだなあと改めて思った。司会の久米宏さんや、田宮二郎さんが輝いている。もう、神話の世界である。
てみ(2)テレビが、テロップを多用したり、SEやキャプションを詰め込む傾向になったのは、編集技術の進化や、いつチャンネルを変えられるかわからない という視聴環境の影響もあるのだろうけれども、改めて昔のテレビを見ると、のんびりと落ち着いていて、そのリズムがかえって心地よい。
てみ(3)もう一つ重大な違いがある。それは、一般視聴者(素人)の参加が目立つこと。クイズ・タイムショックの回答者は一般の人たちが中心だし、ぴったしカン・カンは、萩本欽一さんと坂上二郎さんが、それぞれ芸能人と一般人のチームを率いるというフォーマットだった。
てみ(4)いわゆる「素人参加番組」がほとんど見られなくなったというのが、最近の日本のテレビの顕著な特徴である。アメリカやヨーロッパでは、むしろ一 般の人が参加するreality tvが中心なのに、日本ではほとんどない。結果として、画面の中はタレントの人の順列組み合わせになる。
てみ(5)制作者の話を聞くと、素人参加番組が減った理由は、権利処理などの難しさにも一因があるのだという。タレントだと、事務所もあるし、さまざまな 処理が簡単なのだという。結果として、テレビが「身内」のものになってしまっている。タレントどうしの内輪トークがその典型だろう。
てみ(6)テレビを見ているのは一般の人たちなのに、そこに一般の人たちが出ないのは、どう考えてもおかしい。制作者側も、いろいろ難しさはあるのだろう けれど、一般視聴者も参加できる番組を、もっと作っていくのがいいのではないか。フォーマットの可能性はまだまだあるはずだ。
てみ(7)ネットの登場によって、テレビの地位低下が指摘されている。一方で、ツイッターのトレンドワードの多くがテレビ由来であることを見ても、未だ影 響力は続いている。先日の『ラピュタ』の際の「バルス!」祭りを見ても、皆で同時に見るというテレビの強みは、決してなくなっていない。
てみ(8)サッカーの日本代表戦などは、生で見ないと意味がないし、ニコニコ生放送でも、映画の放映を増やしていくという。みなで一緒に見て、「弾幕」で盛り上がるという新しい「テレビ」の体験が出現する。YouTubeも、独自の番組を製作し始めると聞く。
てみ(9)今の日本の地上波テレビは、確かに独特の「雰囲気」(タレントの内輪空間)が支配しているが、歴史的に見ればそれがすべてではなく、未来におい てもそれが続くとは限らない。テレビが重要なメディアであることはおそらく変わらないから、少しでも面白い番組が登場することを期待したい。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
てみ(2)テレビが、テロップを多用したり、SEやキャプションを詰め込む傾向になったのは、編集技術の進化や、いつチャンネルを変えられるかわからない という視聴環境の影響もあるのだろうけれども、改めて昔のテレビを見ると、のんびりと落ち着いていて、そのリズムがかえって心地よい。
てみ(3)もう一つ重大な違いがある。それは、一般視聴者(素人)の参加が目立つこと。クイズ・タイムショックの回答者は一般の人たちが中心だし、ぴったしカン・カンは、萩本欽一さんと坂上二郎さんが、それぞれ芸能人と一般人のチームを率いるというフォーマットだった。
てみ(4)いわゆる「素人参加番組」がほとんど見られなくなったというのが、最近の日本のテレビの顕著な特徴である。アメリカやヨーロッパでは、むしろ一 般の人が参加するreality tvが中心なのに、日本ではほとんどない。結果として、画面の中はタレントの人の順列組み合わせになる。
てみ(5)制作者の話を聞くと、素人参加番組が減った理由は、権利処理などの難しさにも一因があるのだという。タレントだと、事務所もあるし、さまざまな 処理が簡単なのだという。結果として、テレビが「身内」のものになってしまっている。タレントどうしの内輪トークがその典型だろう。
てみ(6)テレビを見ているのは一般の人たちなのに、そこに一般の人たちが出ないのは、どう考えてもおかしい。制作者側も、いろいろ難しさはあるのだろう けれど、一般視聴者も参加できる番組を、もっと作っていくのがいいのではないか。フォーマットの可能性はまだまだあるはずだ。
てみ(7)ネットの登場によって、テレビの地位低下が指摘されている。一方で、ツイッターのトレンドワードの多くがテレビ由来であることを見ても、未だ影 響力は続いている。先日の『ラピュタ』の際の「バルス!」祭りを見ても、皆で同時に見るというテレビの強みは、決してなくなっていない。
てみ(8)サッカーの日本代表戦などは、生で見ないと意味がないし、ニコニコ生放送でも、映画の放映を増やしていくという。みなで一緒に見て、「弾幕」で盛り上がるという新しい「テレビ」の体験が出現する。YouTubeも、独自の番組を製作し始めると聞く。
てみ(9)今の日本の地上波テレビは、確かに独特の「雰囲気」(タレントの内輪空間)が支配しているが、歴史的に見ればそれがすべてではなく、未来におい てもそれが続くとは限らない。テレビが重要なメディアであることはおそらく変わらないから、少しでも面白い番組が登場することを期待したい。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
2012年1月8日日曜日
素晴らしき将棋の世界
すし(1)女流3冠の里見香奈さんが、男性棋士と同じ条件で闘う「奨励会」において、現規定で女性としては初めて昇進条件(12勝4敗)を満たし、初段になった。この先、4段まで昇進すれば、奨励会経由の、初めての女性のプロ棋士ということになる。おめでとうございます!
すし(2)将棋は男女別にも行われているが、必ずしも男女の脳差を反映しているわけではない。男性と女性、どちらが将棋が得意かということが、そう簡単に 科学的にわかるわけではない。挑戦してみなければ、どこまでいけるかわからない。里見香奈さんの今後のご活躍に期待したい。
すし(3)将棋は、すばらしい文化である。まずは、その集中と持続。インターネットや携帯が普及した現代においては、時間は断片化しがち。プロ棋士のように、一日8時間も同じことについてずっと考えるのが日常というような職業はなかなかない。それだけでも価値がある。
すし(4)羽生善治さんとお話したとき、いろいろ面白かった。羽生さんは、将棋のことを考えると、将棋盤が目の前に出てしまうので、車の運転をするのをやめたのだという。本当は、対局するのに将棋盤は要らない。将棋盤を置いているのは、他人にわかりやすくするためである。
すし(5)将棋に強くなるためには、感想戦が大切である。一局を指し終わったあと、もう一度振り返って並べて見て、どこがどのように適切な手だったか、あ るいは不適切だったかを検討する。そうすることで、だんだん将棋が強くなっていく。奨励会では、対局と同じくらいの時間を感想戦に費やすらしい。
すし(6)そこが、素人将棋との違いである。素人将棋は、ぱっぱっぱっと指して、勝負がつくと、あっという間に崩してしまって、「もう一丁!」となる。感想戦をして、自分の指し手を振り返ることがないから、なかなか強くなれない。人生も同じことであろう。
すし(7)前頭葉の眼窩前頭皮質(orbitofrontal cortex)は、「後悔」(regret)にかかわる。自分が実際に行ったこと(現実)と、行うことができたこと(反現実)を比較する。さらには、その 前提となった判断基準をも再検討する。感想戦は、眼窩前頭皮質の鍛錬でもある。
すし(8)感想戦では、自分や相手の指し手を覚えていることが前提となる。プロ棋士の方に伺うと、素人の指し手はかえって覚えにくいのだという。指し手の後ろに、ロジックがないからである。ランダムな配列を記憶するのではない。背景には、緻密なロジックと読みがある。
すし(9)一つのことで鍛えた脳回路は、他のことにも応用できる。脳内の資源の管理に関係する前頭葉の背外側前頭前皮質(Dorsolateral Prefrontal Cortex)。子どもの頃から、将棋を指して、一つのことに集中する回路を鍛えるといいね。素晴らしき将棋の世界。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
すし(2)将棋は男女別にも行われているが、必ずしも男女の脳差を反映しているわけではない。男性と女性、どちらが将棋が得意かということが、そう簡単に 科学的にわかるわけではない。挑戦してみなければ、どこまでいけるかわからない。里見香奈さんの今後のご活躍に期待したい。
すし(3)将棋は、すばらしい文化である。まずは、その集中と持続。インターネットや携帯が普及した現代においては、時間は断片化しがち。プロ棋士のように、一日8時間も同じことについてずっと考えるのが日常というような職業はなかなかない。それだけでも価値がある。
すし(4)羽生善治さんとお話したとき、いろいろ面白かった。羽生さんは、将棋のことを考えると、将棋盤が目の前に出てしまうので、車の運転をするのをやめたのだという。本当は、対局するのに将棋盤は要らない。将棋盤を置いているのは、他人にわかりやすくするためである。
すし(5)将棋に強くなるためには、感想戦が大切である。一局を指し終わったあと、もう一度振り返って並べて見て、どこがどのように適切な手だったか、あ るいは不適切だったかを検討する。そうすることで、だんだん将棋が強くなっていく。奨励会では、対局と同じくらいの時間を感想戦に費やすらしい。
すし(6)そこが、素人将棋との違いである。素人将棋は、ぱっぱっぱっと指して、勝負がつくと、あっという間に崩してしまって、「もう一丁!」となる。感想戦をして、自分の指し手を振り返ることがないから、なかなか強くなれない。人生も同じことであろう。
すし(7)前頭葉の眼窩前頭皮質(orbitofrontal cortex)は、「後悔」(regret)にかかわる。自分が実際に行ったこと(現実)と、行うことができたこと(反現実)を比較する。さらには、その 前提となった判断基準をも再検討する。感想戦は、眼窩前頭皮質の鍛錬でもある。
すし(8)感想戦では、自分や相手の指し手を覚えていることが前提となる。プロ棋士の方に伺うと、素人の指し手はかえって覚えにくいのだという。指し手の後ろに、ロジックがないからである。ランダムな配列を記憶するのではない。背景には、緻密なロジックと読みがある。
すし(9)一つのことで鍛えた脳回路は、他のことにも応用できる。脳内の資源の管理に関係する前頭葉の背外側前頭前皮質(Dorsolateral Prefrontal Cortex)。子どもの頃から、将棋を指して、一つのことに集中する回路を鍛えるといいね。素晴らしき将棋の世界。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。
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