2011年7月31日日曜日

「韓国」についての連続ツイート

韓国(1)韓国は歴史的に日本と関係が深く、多くの文化的影響をお互いに与えた。韓国語と日本語は言語学的にも近い。コンピュータによる自動翻訳がやりやすい。また、同時通訳も、語順が同じであるために、やりやすいのだという。

韓国(2)一方で、両国の間には愉快な文化的違いもある。韓国では、料理を注文すると、キムチの小皿がたくさんサービスで出てくる。日本に来た韓国人は、ラーメンを注文すると本当にラーメンしか出てこないのでびっくりするという。韓国の食文化は「ポトラッチ」である。

韓国(3)一度、私はソウルで毎日キムチを食べて、そろそろ寿司を食べたい、と思って日本料理屋に入った。そしたら、まずキムチの小皿がたくさん出てくる。焼き魚も出てくる。やっとにぎり寿司が来た、と思ったら、その後「締め」にクッパが出た。注文したのはにぎり寿司だけなのに!

韓国(4)ソウル市の真ん中には、大きな山があり、ソウルタワーが建っている。市の中心に山があるということが、都市の性格を作っていると思う。そこからロープウェーで降りるとすぐに、繁華街の明洞。そのコントラストに大いに魅せられた。

韓国(5)ソウル近郊の水原に出かけた時のこと。世界遺産の城壁や門がある。その、世界遺産の門で、おばさんたちが座って談笑していた。ぼくも座って、しばらく風に吹かれていた。回って一時間くらい経ってから来たら、おばさんたちはまだ談笑していた。

韓国(6)南北分断という厳しい現実がある。予断を許さないが、板門店の南側は、「テーマパーク」のようになっていて、市民が家族連れで来ている。「北側」を見る展望台に立つと、同じ言語、文化を持つ民族が分断されていることの重みがひしひしと伝わる。

韓国(7)一度、韓国に行く前にハングルを覚えようとしたが、もう忘れてしまった。パッチムという表記法は面白い。私の名前「茂木」(モギ)は、韓国語では「蚊」という意味の音になるらしい。だから、韓国に行くと、私はミスター・モスキートである。

韓国(8)韓国文化に対する拒絶反応が時折起こるのは、いわゆる「近親憎悪」のようなものだろう。ヨーロッパやアメリカから見たら、日本と韓国はきわめて近い。フランスとベルギーの間にも、「近親憎悪」を持つ人が現れるが、外国の人はよくフランスとベルギーを間違える。

韓国(9)アダム・スミスが『国富論』で看破したように、国際分業は必然であり、それぞれの国が得意分野をやり、交易すること。近いようで遠い、遠いようで近い。日本と韓国は、大いに競い合い、協力し合い、行き交えばいい。もともと、歴史的には、緊密な関係性があるのだから。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年7月30日土曜日

「夏モード」についての連続ツイート

なつ!(1)子どもの頃、いや、それから随分経っても、9月になって、ちょっと涼しくなり、日も弱まってきた頃に「はっ」と気付くことがよくあった。それまでの自分が「夏モード」になっていたことを自覚し、これではいかん、もっときちんとしよう、とぎゅっと心を引き締めるのである。

なつ!(2)肝心なのは、一度、「夏モード」になって、心身ともに開放されることで、それを十分に楽しんでいなければ、秋からの努力にエネルギーが向かわない。夏を心の底から楽しんでこそ、「はっ」と気付いて、自分を引き締める喜びにも目覚めることができるのである。

なつ!(3)夏モード。それは、氷を浮かべたそうめん。子どもの頃食べた冷や麦には、白い中で色が違うのが入っていて、それを妹と取り合いした。緑や赤や黄色。ただ色が違うだけのその麺が、欲しくて、切なくて、この世のどんなものよりも輝かしく、そして大切なものに思えた。

なつ!(4)夏モード。それは、縁側で食べるスイカ。中が黄色いやつだとか、種なしだとか、いろいろあったな。種をとばしっこする。どこまで飛ぶか。時々間違って飲み込んでしまう。食べたスイカをカブトムシにあげる。あるいは母親が漬けものにして、翌日の食卓に並んだ。

なつ!(5)夏モード。それは、盆踊りで見る女の子の浴衣。いつもは学校で男の子たちとドッヂボールなんかして騒いでいるのに、浴衣になると妙に女っぽくなったりして、俺たち男はそんなことに気付かないふりをして、公園の暗がりであいかわらずわあわあ騒いでいたっけ。

なつ!(6)夏モード。それは、朝早く起きていくラジオ体操。スタンプを集めても、最後にもらえるのはどうせお菓子やノートなのに、押してもらうために町内会のおじさんの前に一生懸命並んだ。ラジオ体操第二で、誰かが必ず「うんこちんちん」と言って、男の子たちは笑い崩れた。

なつ!(7)夏モード。大人になって、京都で鱧の落としを初めて食べた。氷の上に白い身がきれいに並んでいる。梅肉で口にするその感覚が、何かに似ていると考えていて思いだした。子どもの頃、清流に裸足で入り、夢中になってタナゴを追いかけた、あの時間。古郷の清流は、今はどぶ川。

なつ!(7)夏モード。大人になって、京都で鱧の落としを初めて食べた。氷の上に白い身がきれいに並んでいる。梅肉で口にするその感覚が、何かに似ていると考えていて思いだした。子どもの頃、清流に裸足で入り、夢中になってタナゴを追いかけた、あの時間。古郷の清流は、今はどぶ川。

なつ!(9)夏は、少しくらいぼんやりして、だらけて、ごろごろして、けだるさに身をゆだね、青空を見つめ、砂浜にまみれ、夜風の中をさまよい、夕立に驚き、入道雲を見上げた方がいい。そして、秋風が吹いたら、はっと我に帰って、それからいろいろ引き締めればいいやね。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年7月29日金曜日

「贅沢」(ラグジュアリー)についての連続ツイート

ぜた(1)ラグジュアリー(贅沢)とは何だろうか? 1980年代は、田中康夫さんの『なんとなく、クリスタル』で幕を開けた。バブルとその崩壊に向けての日本においては、「記号」としてのブランドが消費された。高いもの、希少なものが人々の羨望を集め、自負心をくすぐったのである。

ぜた(2)バブルが崩壊し、人々が成熟すると、体験の質(クオリア)が基準となった。他人に見せつけなくても、ブランドでなくてもいい。「今、ここ」が心地よいこと。お気に入りの店で、ひっそりと誰にも知られずに美味しいものを食べる。値段は関係ない。ただ、心地よい時間があればいい。

ぜた(3)白洲正子さんが、自分の感性を基準に良いものを見つけていったように(『日月山水図』の「発見」はその見事な事例である)、自分基準の「ぜいたく」とは、ブランドや価格で決まるものではない。生命の直覚だけが、ぜいたくなものを映し出す。

ぜた(4)「贅沢」(Luxury)とはなんだろうか。それは、かけ流しの温泉のように、時々刻々あふれ出ることである。感覚や生命が、受け止めることのできる以上の何かが自分を通り過ぎ、あふれ出ていく。ブランドとは関係がないし、お金を出せば手に入るものでもない。

ぜた(5)都会の高価なレストランで食事をすることが贅沢なのではない。子どもの頃、年末に餅つきをして、近所の人たちと一緒に食べた。つきたての餅を、ダイコンおろしで絡めたり、あんこ餅にしたり。あの頃は両親も若くて元気だった。あの時間こそが贅沢。もう、二度と戻ってこない。

ぜた(6)母親が庭にパセリを植えていて、食事の時に、「ちょっと取ってきて」と言われて抜きに行った。ポテトサラダの横に、そっと添えたパセリの苦味と香り。あの力強い生命の手応えこそが、レストランで出るどんな高価な食材よりも、よほど贅沢に感じられる。

ぜた(7)祖父母が健在の頃、明治の古い人たちだったから、七輪で餅を焼いたり、海苔を焼いたりして醤油につけて食べた。大相撲を見ながら、ゆったりとした時間を過ごした。冷暖房完備の家で電子レンジでチンするよりも、どれほど贅沢な時間だったことだろう。

ぜた(8)ブランドよりも、価格よりも、内面の心地よさを志向する人が増えている。マーケットで宣伝に踊らされるのではなく、自分の感性で選びとる。茶道では、土塊から作った器を何百年も大切に使う。贅沢は、本当は自転車操業の消費から程遠いところにある。

ぜた(9)日本は低成長時代だけれども、ブランド消費の狂騒に背を向けさえすれば、贅沢はいくらでもある。キャンプファイヤーで、小枝の先にマシュマロを刺して溶かして食べたのは、楽しかったな。自分の感性を磨いていると、きっと、時代や世界が後から追いついてくるよ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年7月28日木曜日

「働く」ということについての連続ツイート

はた(1)小学校1年の時、私は何を思ったのか、突然「おもちゃを買いたいからバイトしたい」と言った。母もふしぎな人で、近所の八百屋さんに話をつけてきた。もやしを袋につめて、一日百円。冬の寒い風が吹く中、一週間くらい、もやしをビニル袋につめるバイトを続けた。

はた(2)半ズボンの子どもがもやしをつめていると、近所のおばさんたちが、「まあかわいい」とか「かわいそう」とかもやしがたくさん売れた。冷たい水の中のもやしを素手でつかんでビニル袋にいれるのはつらかったが、がんばっていると褒められるのがうれしくて、毎日がんばった。

はた(3)今考えると、八百屋さんとしても大した助けにならなかったのかもしれない。子どもの気まぐれな思いつきを、母が頼み込んで実現してあげた、ということなのだろう。一週間経ったら、「これでおもちゃが買える」と、始めた時と同じくらい気まぐれに、私はやめてしまった。

はた(4)時代は流れて、東京のある街に住んでいた時のこと。一軒の餃子屋さんがあった。小さな間口の店で、餃子だけを売っている。座って食べるテーブルもない。持ち帰りだけ。おじさんは、いつ見ても、餃子をつめたり、焼いたりしていた。

はた(5)一パック、生餃子300円、焼き餃子300円。来る日も来る日も、ずっと餃子をつめていた。前を通ると、餃子のいい匂いがした。おじさんは、そうやって餃子一筋で、家族を養い、子どもを育てたのだろう。しばらく前、十数年ぶりに訪れたら、やっぱり餃子をつめていた!

はた(6)餃子をつめて、焼く。おじさんは、かくも長い間、どんなことを考えて仕事をしていたのだろう。餃子をうまくつめるのは案外むずかしくて、長年の熟練があってあんなきれいなかたちになる。そして、餃子をつくりながら、いろいろと考えなければならないこともある。

はた(7)お客さんは、できるだけ焼きたての餃子が食べたい。かといって、注文して「焼くから待ってください」と言われると、困ってしまう。この時間帯にはこれくらいのお客さんが来るかなと、あらかじめ予想して餃子を焼いていかなければならない。

はた(8)今日は近くの小学校で運動会があるから、これくらいかな、とか、雨が降ってきたから、お客さんはこうなるかなとか、いろいろなことを考えながら、おじさんは餃子をつめ、焼き続ける。毎日、そのことだけを繰り返しながら。餃子屋さんのことを考えると、人生っていいなと思う。

はた(9)世の中にはさまざまな仕事があるけれども、どんな仕事にも無限の奥行きがあると思う。工夫をし、学び、人とかかわり、生活する。『プロフェッショナル 仕事の流儀』で住吉美紀さんと仕事をしていた頃、時々餃子屋さんのことや、もやしを詰めた日々のことを思いだしていた。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。




2011年7月6日水曜日

8耐の練習走行を見てきた

やってきました久しぶりの鈴鹿サーキット。
8耐を生で見てみたいけど、人混みは嫌なので、練習走行を見学に行ってきました。
平日ですが、入園券だけあれば見られるのでお得です。
決勝当日のお祭り状態が好きな人はつまんないでしょうけど…。

そして実際行ってみると、グランドスタンドもまばらに暇な(笑)お客さんがいるだけで、完全フリー!な観戦を楽しむことができました。
クーラーボックスにビールを入れて持ち込んでる方もいて(本当は禁止かもしれません)、ああなるほどと納得。サーキット周辺の屋台系のお店がやっていないので、ちょっと離れたお店まで買い出しに行かないといけないのでした。

よし、来年もこの練習走行を見に来るぞ!ビールを持ってな!


流し撮りしてみるが、コンデジではなかなか難しい。一眼を持ってくればよかった。

さて帰ろうと思って、ふと振り返って見るとパドックへの出入り口がフリー!
本番当日だとお金がいるところだぞ、行っていいのか!?
通路を抜けるまでに誰かに注意されちゃうんじゃなのか!?

来ちゃった。
パドックも見放題でした。
そういえばチーム伸助はどこだったんだろう。