2012年6月1日金曜日

男の子の時間、おじさんの時間

おお(1)昨日書いたように、駒場の裏門から入ろうとしていたら、池上高志が後ろからばーんとぶつかってきて、驚いた。うひゃひゃ、っていうその感じが、何かに似ているなあ、と思っていろいろ考えていたら、思い出したよ、「男の子の時間」。そのスピリットを忘れないことが大切だよな。

おお(2)男の子には、いっしょにわるふざけする、聖なる時間があるのだ。小学校に上がったばかりの頃、みんなで缶蹴りをやっていて、ひどいトリックをいろいろ工夫した。鬼が缶の近くにいるとき、全員でわーっと走っていって、名前を言えないうちに缶を蹴ってしまう。

おお(3)あと、仲間とシャツを交換して、壁の陰から上半身だけ出す。鬼が「何とか君!」ていうと、ぱっと飛び出して、「まーちがえた、まちがえた!」とやる。5、6人で芋虫のようにつながって、顔が見えないようにして、缶に近づいて蹴ってしまう、というようなこともやった。

おお(4)そんないたずらをやっている最中のぼくたちは、笑っていた。缶の近くにいる鬼に向かって、全員でわーっと走っていくときなど、もうおかしくておかしくて、ケタケタ笑いながら殺到していった。あの時に発散されていたエネルギーって、いったいなんだったのだろう。

おお(5)思いついたこと、不謹慎なことをやるときに、男の子は笑い出す。極上の笑い。加藤茶が、タブーに合わせて「ちょっとだけよ」とやるのが流行ったときも、林間学校でそれをやった。キャンプファイヤーのまわりで「ちょっとだけよ」とやったとき、もうおかしくて、ずっと笑っていた。

おお(6)男の子が悪ふざけをするのは、つまりエネルギーが有り余っているからで、発散の一つの儀式なんだろう。池上高志が、いっしょに悪ふざけできる相手だというのは、奇跡だと思う。だって、東京大学教授のいい年したおっさんなんだぜ。普通、もっともっともらしくしていてもいいじゃないか。

おお(7)おじさんになると、だんだん「もっともらしく」なってきてしまう。学士会館に行くと、「もっともらしい」おじさんがたくさんいる。そんなおじさんたちも、昔はケタケタ笑う男の子だったんだろう、と考えると、何だか楽しい。人生の滋味がそこにあるというか、しみじみするね。

おお(8)新橋の飲み屋なんていくと、「サラリーマンのコスプレ」をしているんじゃないかというくらい、もっともらしいおじさんがあふれている。でも、昔は缶蹴りをしたり、ちょっとだけよをしてケタケタ笑う男の子だったはず。おじさんのどこかに、そんな時代の名残はあるんじゃないかな。

おお(9)いかにもなおじさんの中に、少年の心が隠れているのを見つけると、おお、とダイヤモンドの原石を発見した気持ちになるね。そうだ、今週のメルマガ連載の「続生きて死ぬ私」は、そのことを書くようにしよう。みなさん今日は、もっともらしいおじさんの中に、少年の心を見つけてください!