2012年6月19日火曜日

人間として、目を開けばいいんだよ

にめ(1)昨日、鳩山由紀夫さんの「サイエンス・フォーラム」に参加してお話した。いわゆるfund raisingの会合。以前から鳩山さんとはお目にかかっていろいろお話させていただいており、依頼されたときに喜んでうかがいますと答えた。プリンスホテルの会場は、いっぱいだった。

にめ(2)まずは私が30分話して、それから鳩山由紀夫さんとの対談であった。会場の後ろを見ると、各局のテレビカメラが並んでいたから、それじゃあ、少し「サービス」して、後半の対談では、いろいろメディアが聞きたいことを聞こうかと思い、消費税、民主党、その他いろいろ鳩山さんに伺った。

にめ(3)鳩山さんは、逃げたりごまかしたりすることなく、とても真摯にお答えになった。どんなニュースになるか、と思って今朝ネットをチェックしてみると、いくつか記事になっている。その字面を眺めていて、以前から感じていたマスコミの問題点が、改めて胸に迫ってきた。

にめ(4)記者クラブや、「政局部」の弊害については言い尽くされた感がある。しかし、そこには生身の記者がいるはずだ。ところが、政治記事の「定型性」の中に閉じ込められて、記者たちの生の感性が伝わってこない。まるで人工知能、あるいはゾンビのような記事になってしまっているのだ。

にめ(5)「天声人語」が、花鳥風月を論じている間はそれなりに読めるが、政治ネタになった瞬間に力を失うように、定型性の限界は、記者たちが現場で感じたことによって突破されるしかない。ところが、日本の政治記事は、カテゴリーとして、ありきたりの型に押し込められるため、感動がないのだ。

にめ(6)昨日、鳩山由紀夫さんとお話していて、はっとした瞬間がある。鳩山さんが、「ぼくのように、既得権益を何とか打破しようと思い詰めて行動している人間を、マスコミはどうしても・・」と言われたその時。私はひとりの人間の「魂」に触れたような気がして、はっと鳩山さんを見た。

にめ(7)考えてみれば、鳩山由紀夫さんほどの「エスタブリッシュメント」はそれほどいない。その鳩山さんが、「既得権益」にメスを入れようと思い詰めた、その理由は何か。その点にこそ、鳩山由紀夫という政治家を理解する上での核心があるのに、記者クラブメディアの定型性はそれを伝えない。

にめ(8)まずはシロアリ退治をしようと政権をとったのに、シロアリ退治をする前に消費税増税に走ってしまっている現状。そんな民主党の現在に対し、日本を改革しようと民主党をつくった鳩山さんは当然いらだっているはずだし、その感触を伝えるメディアがあっていいのに、相変わらず無味乾燥な記事。

にめ(9)別に記者クラブがあっていい。一人ひとりの記者が、生身の人間ならば。ゾンビのように定型的な記事を垂れ流すがゆえに、日本の政治記事はつまらない。伝わるべき情報が、伝わっていない。それが、閉鎖性ゆえの談合体質、競争の不在に起因しているならば、開いて新しい空気を入れるしかない。