2011年10月19日水曜日

「沖縄には未来への光があったなあと、風に吹かれながら考える」連続ツイート

おか(1)沖縄で過ごした二日間、いろいろなものを吸収した。何度も訪れている沖縄だけど、そこには未来があると感じた。行き詰まっている日本の進路を照らす光がある、大げさに言えば、そんなことまで思った。

おか(2)石垣島で会った学生は、台北の教育大学に留学しているというから、中国語わかるのか、と聞いたら、30%しかわからない、でも来年は台湾大学を受け直すという。どうして受かったんだ、と聞くと、石垣市と提携しているから〜と答えるから、お前、そういう問題じゃないだろうと笑った。

おか(3)「内地」の学生たちは、すっかり慎重になっていて、留学なんてできないと尻込みしているけど、「てーげー」に、中国語がわかってもわらなくてもとにかく行ってしまう、そんな石垣の学生に、「お前、それいいじゃないか!」と私は思わずオリオンを飲み干してしまった。

おか(4)聞くと、沖縄の人は若いときからほいほい外国に行っているらしい。吹奏楽やマーチとかの世界大会で、アメリカ行ったりしているらしい。外国に親戚がいるという人も、かなりの確率でいると見聞きする。最初から、島が外とつながっているのだ。

おか(5)「世界のウチナーンチュ大会」というのが5年に一回あって、世界中からウチュナーンチュ(沖縄出身の人)が里帰りするんだという。みんな感激して泣くらしいが、いいよね、このネーミングのセンス! だって、世界のウチナーンチュ大会だぜ。世界の都民大会とか、成立せん!

おか(6)「内地」でも、最近は新卒一括採用のアタマの古い企業に就職するのはイヤだと、世間的にはいわゆる「フリーター」になる学生が増えてきているけど、沖縄ではもともと就職しなくても支え合う文化がある。のんびりしているとか、怠けているとかじゃなくて、そっちに未来があるんじゃないの?

おか(7)沖縄で街づくりに取り組んでいる建築家の関原さんによると、世田谷でやっていた頃の何倍ものスピードで物事が進むそうだ。グローバル化やネットの新文明の下に必要なダイナミズムは、一定数の「リベロ」の人間がいないと実現できないが、沖縄にはすでにそれがある。

おか(8)それともう一つ。「内地」の人たちも、ようやく「原発」という、今そこにある現実の重さに目覚めたけれど、沖縄の人たちはずっと「基地」と向き合ってきた。今すぐにはなくせない存在にどう向き合っていくか、その態度や哲学における先進性が沖縄にある。

おか(9)グローバリズムやインターネットの新文明の下で必要な「風」が、沖縄ではすでに吹いていた。学歴だとか、新卒一括採用とか、記者クラブとか、そんなの一切関係ねえ、「てーげー」のパワー。日本沖縄化計画。適応できない古いエスタブリッシュメントから、周縁への民族大移動!

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年10月18日火曜日

「中心と周縁は、いつの時代にもあるけれども、どちらに飛び込むか、それが問題だ」についての連続ツイート

ちど(1)昨日、沖縄の人たちと話していて、もう、日本の「中枢」はダメなんだなあ、大学にしても、役所にしても、メディアにしても、古くさくて、身動き できなくて、ダメなんだなあ、としみじみ思って、その一方で「周縁」はなかなかいいぞと思った。みんな勝手にやっている。

ちど(2)それでふと思ったんだけど、「中心」は古くさくて、「周縁」は元気、というのは、どの時代も、洋の東西を問わず真実なのではないか。アメリカに行くと、「ワシントン」というのは悪名だし、公務員のムダ、形式主義に対する文句は、同じように聞こえてくる。

ちど(3)つまり、社会というのは、古くて融通の利かない「中心」と、小回りが利いて柔軟な「周縁」というもので常にできていて、その両方のダイナミクス でバランスをとっているものなんだろうね。だから、中心がださい、と文句を言っても、きっと仕方がないんだよ。そういうものなんだから。

ちど(4)問題は、エネルギーの配分だと思う。古くて硬い「中心」と、まだ不安定だけど柔軟で面白い「周縁」があった時に、どちらに身を投じようと思うか? 才能があって、意欲のある若者が、どこに行こうとするか。そのエネルギー配分で、社会は動いていくのだと思う。

ちど(5)従来の日本の問題は、若者たちが、みなこぞって安定した「中心」のメンバーになろうとしてきたことだろう。東大法学部から霞ヶ関へのルートな ど、典型である。そういう「硬い」人たちはもちろんいてもいいが、それは、周縁ががちゃがちゃと元気で、初めて社会のためになる。

ちど(6)すべてはバランスの問題で、日本に、もしスタンフォード大学のような学生が在学中からぎらぎらと起業を考えているような組織があったら、日本の ガチガな「中心」ももっと生きてくるのだろう。ダメな「中心」がダサイのは、「中心」のせいじゃない。周縁の元気のなさのせいだ。

ちど(7)アニメにしても、漫画にしても、コンピュータ・ゲームにしても、日本を元気にしてきた新産業は、すべて「周縁」から生まれてきた。「中心」から バカにされ、見下されても、上等だと跳ね返すそのエネルギーこそが誇りであり、活力であった。それでいいんじゃないか、これからも。

ちど(8)大学に行くとき、あるいは大学を出るときに、どんな将来を思い描くか。不確実だから、どうなるかわからないからこそある分野に行く、という若者が増えてくれば、社会のバランスは自然によくなるさ。縮んでいくパイを奪い合っても、そんなの意味はない。

ちど(9)社会のあり方は、それほど変わるわけではない。問題は、個々の人間が、どんな選択をするか。日本がこのままでも、周縁に飛び込む勇気を持つ人がもっと増えてくれば、確実に日はまた昇る。だって、おひさまって、いつも地の果て、周縁から昇ってくるでしょう。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年10月17日月曜日

一人ひとりがメディア・カンパニーになる」ことについての連続ツイート

ひめ(1)昨日、フリーランスという働き方を論ずる中で、「グーグル時価総額」という話をした。別の言い方をすれば、これからの時代は、「一人ひとりがメディア・カンパニーになる」ということだと思う。今朝はそのことについて考えたい。

ひめ(2)今年の2月、ロング・ビーチでのTEDの会議に参加していた時に耳にしたのが、「TEDはメディア・カンパニーである」という一言。あれだけの高度な内容のトークを、ネット上で無料で公開する。そのあり方に、ぼくは未来への大いなる希望とヴィジョンを見る思いがした。

ひめ(3)テクストや写真、絵、動画をネット上で公開することが、簡単に、ローコストでできる時代。それぞれの興味が持っているものについて、ネット上で表現をして、世界中の人と交流することができる時代。決断さえすれば、一日目から、メディア・カンパニーとしての活動を開始できるのだ。

ひめ(4)例えば、「雑草ガーデニング」。鉢植えをベランダで放っておいて、どんな草が生えてくるか観察する。ぼくは時間がないのでやってないけど、雑草ガーデニングの専門家が、ブログで草の種類や性質を説明してくれたら、ぼくは絶対に読むし、話も聞きたいと思う。

ひめ(5)ネット上のコンテンツというと、すぐにマネタイズの話をする人がいるけど、必ずしも直接やる必要はないと思う。アフィリエートで稼ぐ人がいてもいいけど、それをしなくてもいい。ブログの書き手を著者にしたという話は、出版界の人たちからしばしば聞く。

ひめ(6)問題は、その人の思いとか、内容。ぼくが今クオリア日記でやっている「勉強法」シリーズは、経済格差とかで教育内容に差がつく、という世相に反発して始めたことだった。全部無料で読めるから、みんな、それを参考にして勉強をしてくれ、という願いが込められている。

ひめ(7)マスメディアは、従来のスタイルにとらわれたり、商業主義の呪縛で、思い切った実験ができなくなっている。今植田工とかと話しているのは、ぼくが脚本を書いて、自分で喋る科学番組をつくってyoutubeで流しちゃおう、とかいうアイデア。そういうこと考えると、元気がでるよ。

ひめ(8)ネットが今すぐここにあるのに、どうしても発想が、「メジャー」なメディアでの活動に囚われすぎている。商業主義は、不自由と同義語。勝手に自分で表現して、即座に公開すればいいんだ。そうすれば、一人ひとりがメディア・カンパニーになる。

ひめ(9)TEDのスローガンは、「広げるに値するアイデア」。ここが一番肝心。自分から発して、「広げるに値するアイデア」は何か。そこを一生懸命考えて、作り込むこと。publishすること自体は、きわめて簡単な時代になった。今すぐ始めないか、あなたのメディア・カンパニー。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年10月16日日曜日

「フリーランスは素晴らしい」の連続ツイート

ふす(1)人間の感性とか、価値観はいろいろだと思う。ぼくにとっては、部屋を借りるのに「連帯保証人」を求めるというのは倫理的に絶対に許せない行為だけど、そうじゃないと大家が安心しないとかうんぬん言う人たちもこの世にいることも、もちろん知っている。

ふす(2)世の中には「フリーランス」に対する差別がある。ここで言う「世の中」とは、もちろん島国日本のことだけど。「大きな会社」に「所属」している 人には部屋を貸すけれども、「フリーランス」の人に対してはああだこうだ言うというのは、ぼくにとっては許し難い偏見に思われる。

ふす(3)友人の竹内薫が、あんなに本を書いてテレビやラジオでも活躍しているのに、家を借りるとき「フリーランス」だからと信用されずに、家賃を1年とか2年とか前払いさせられたそうだ。アホか? そんなに前払いできる人を「信用」しないって、一体どういうこと?

ふす(4)ぼくは、自分の「所属」はどこそこですとか、他人に「所属」はどこですか? などと聞くひとを、根本的に信用しない。そういう人が世の中にいてもいいけれども、ぼくは共感しない。フリーランスは最高の生き方だと思う。それで、何か問題でもあるというのだろうか。

ふす(5)ダニエル・ピンクは、2001年の『Free Agent Nation』の中で、「独立した働き手」たちが、いかにアメリカの社会を変えているかということを論じている。社会の中の「点」と「点」を結ぶのはその ような 人たち。フリーランスこそが、社会の流動性を担う。

ふす(6)坂本龍馬風に言えば、組織の論理から離れて「脱藩」しなければならぬ。もちろん、形式的には「社員」であっても良い。精神において「脱藩」していれば、その人は自由闊達さを手に入れられるし、何よりも吸っている空気が気持ち良い。

ふす(7)もっとも、「脱藩」しても、前にいた組織関係の仕事が多かったり、特定の取引先にぶら下がっていると、本当の意味での「フリーランス」とは言えない。フリーランスのポイントは、多様性。多くの人たちとかかわり、いろいろなことをすることが、フリーランスの特権。

ふす(8)フリーランスの活動を支えるツールの一つが、インターネット。自分の名前でグーグル検索した時に、どんな情報が出てくるか。その「グーグル時価 総額」こそが、その人のフリーランス活動を支える。そして、表現や発信自体は、誰にでもlow costでできる時代である。

ふす(9)時代の温度も変わってきていて、フリーランスに対する差別は、以前ほど意味がなくなってきているように感じる。不動産賃貸における「連帯保証 人」に関する愚かな習慣も、そのうち消えるだろう。より流動的で、しなやかな日本へ。それ以外の道はないから、抵抗するだけ無駄だよ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年10月15日土曜日

「ノウハウなんて意味がない、心を整えることこそが大切さ」ということについての連続ツイート

のこ(1)松下村塾には二回行ったことがある。二度目の訪問の際、吉田松陰が教えていたのが「陽明学」であることが気になり始めた。心を整えること。時代 の情勢がどんなものであれ、自分の心のあり方を真っ直ぐで清明なものにすること。ぼくはそのことに撃たれて、その感覚がずっと 消えない。

のこ(2)この世をいかに生きるか、ということを考えた時に、外形的なノウハウやチェックリストから行くやり方がある。何分これをしろとか、一日の時間帯 の中ではいつやれとか、道具はこれを使えとか、そのような話が現代の日本人は大好きで、私もそんなことばかり質問される。

のこ(3)しかし、昔の日本の学問は、そうじゃなかったんだよね。心を整えること。心のあり方を見つめること。それは、いわば「心の彫刻」。その心のあり方さえきちんとすれば、あとのことはついてくる。昔の人はそう考えていたように思う。もちろん吉田松陰もそうだった。

のこ(4)具体的なノウハウは、わかりやすいようだけど、つまりそれは出来損ないの人工知能のようなもので、状況に応じて臨機応変にやり方を変えるという ことができない。一日何分やるとか言って、じゃあ、他のことが忙しくてできない日はどうする? 例外が多すぎて、意味がない。

のこ(5)勉強をやらない子どもがいるとする。一日何分やりなさい、という外形的なノウハウから入るやり方は、心に届かない。それよりも、なぜ学びたいの か、何を学ぶのか、心に火をつけることの方が長持ちするし、どんな状況でも効果を発する。だけど、心は目に見えないから、わからないんだよね。

のこ(6)スティーヴ・ジョブズのプレゼンが凄いという人がいる。私もそう思う。しかし、そのプレゼン術を、ノウハウに落としたところで何の意味もない。 自分のパッションを伝えること。人々を驚かせ、喜ばせること。そのような心の「かたち」が最初にあって、個々のプレゼンが生まれる。

のこ(7)昨日、朝日カルチャーセンターの後の飲み会で、ぼくはスイッチがオフになったように意気消沈して、「日本は変わらないよ」「日本には飽きたよ」 とクダを巻いていたらしいが、日本が変われないのも、ノウハウの問題じゃなくて、つまりは変わるという気持ちが整っていないだけの話さ。

のこ(8)どんなに状況が困難でも、障害があっても、「変わろう」と本気で思ったら、そんなことは大したことじゃない。自分の内面を見つめて、心を整える。あとのことはついてくる。ジョブズも、スピーチで、「あとのことはディテールに過ぎない」と言っているじゃないか。

のこ(9)スティーブ・ジョブズは、日本の僧侶に教えを受けたんだよね。自分を見つめ、心を整える「心の彫刻」。あとのことは大したことじゃない。日本人 は、もともとそういうことを知っていたのに、ノウハウ野郎どもに乗っ取られた。朱子学なんてぶっつぶせよ。時代は陽明学だよ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年10月14日金曜日

「フォローワーの反応のしなやかさと迅速さが、リーダーを作り上げる」ことについての連続ツイート

ふり(1)TEDにおけるDerek Siversの講演「How to start a movement」(http://bit.ly/gmJ4Xp 、日本語字幕もあり)は、リーダーを作る上でのフォロワーの大切さを話したものだけれど、反射神経は大切だと思う。

ふり(2)裸で踊っているやつがいる。それを見て、オレもやろう、と思って参加するやつがいる。誰もフォローしなければ、単なるバカ者。フォローワーが現れて、初めて意味がある。問題は、フォロワーの反射神経の速さとしなやかさだ。

ふり(3)日本病の本質は、人が肩書きや組織で判断して、自分の感性を信じないし磨かないことだろう。ああそうですか、って名刺を見ていて、相手の人間を見ていない。裸のその人を見て感じる能力がなかったら、迅速フォローなんてできるかよ!

ふり(4)誰がどの大学出ているとかそんなことで人を判断しない。実際に話して、どれくらいのヴィジョンがあるか、見識があるか、そういう判断を即座にしなやかにできる人たちの集まっている社会はイイネ! そういう楽器は、大きな音を奏でるぜ。ばんばんばん! ぽんぽんぽん!

ふり(5)白洲正子さんは今やカリスマになっているが、白洲さんは自分の目で全て確かめ、自分の感性で良い悪いを判断した。至宝『日月山水図屏風』は白洲さんによって「再発見」されたものだが、そんな風に自分の感性を磨かないで、人生に何の意味があるんだろう。

ふり(6)お墨付きが好きな人たちがいる。ノーベル賞、世界遺産、国宝、うんちゃらなんちゃら。そんなものがなくても、自分で価値を判断できる人たちが集まっていないと、なかなか新しいことをやるリーダーは出てこないわね。だって、誰もついてきてくれないんだから。

ふり(7)メディアもさ、権威とかお墨付きで活字の大きさ決めたりしなければいいのにね。きっと、裸になるのがこわいんだろうね。生まれたときは、みんな裸なのに。すべての子どもは、しなやかな感性を持っている。そして、自分で好きなものを選んでいる。一生そうだったらいいね。

ふり(8)大河ドラマに恨みはないけどさ、「今年はこれをやってます!」っていうような感じで、観光地の宣伝をしているのを見ていると、絶望するよね。コマーシャリズムは世の常ながら、どこがいいか悪いかくらい、自分で判断しろよ!

ふり(9)日本病の本質は、人々が自分で感じ、判断しなくなっているところにあるのでしょう。でも、治すのは簡単だよ。子どもの時に戻ればいいんだから。手始めにDerek Siversのビデオを見ればいい。何の保証もない裸踊りに参加するその勇気さえあれば、リーダーはきっと現れる。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。

2011年10月13日木曜日

「ごくありふれたものが、すごく不思議」であることについての連続ツイート

ごす(1)というわけで、科学はいろいろなことを明らかにしてきて、物理学は「万物の理論」さえ夢見ているんだけど、ちょっと待てよ、何かおかしくないかい。結局、今までの科学って、時空の中でどんなパターンで 万物があるかということを記述するだけで、時間の経過は扱えないんだよね。

ごす(2)時間が経ってしまうことの不思議さ。小学校のとき、みんなで潮干狩りに行った、あの時のオレはどこにいってしまうんだろう。分子生物学か何かしらないけど、凄いけどさ、でもさ、身体がこううーわって分子の動きでできている、この驚異って一体何?

ごす(3)脳の機能を、統計的に記述して、ああだこうだいうのはいうけど、それは進歩だけど、で、朝起きたらどうしてこんなクオリアとかあるわけ? 進歩っていうけど、それはどんな進歩なわけ? 科学にはできなことがあるっていうけど、それじゃあ、科学って何?

ごす(4)なんだか知らないけど、オレが生まれる前からずっと宇宙はあったらしいね。誰でも死の恐怖は持つのに、自分がその間ずっと存在しなかった、という恐怖は持たないよね。時間は非対称なわけだ。なんでそうなっているの?

ごす(5)そもそも、普段、われわれは地上の生活にばかり気をとられているわけだけどさ、この宇宙には、絶対に関係のない、光円錐のそとがわで、かかわりようのない世界だって、たくさんあるわけじゃないか。それらの世界と、我々の関係は、一体どうなっているの?

ごす(6)ものがあるって、どういうこと? 目の前にコップがあって、そのイメージが心の中にできるよね。でも、コップって何? ケイ素のかたまりっていうけど、そのケイ素がそこにある、ということ自体には、どうしたら届くの?

ごす(7)人格をもった神様がこの宇宙を創ったわけではない、というけど、じゃあ、なんで宇宙ってあるの? 「なんで」という質問には科学は答えないというけど、じゃあ、科学って何なの? おれたちが生まれるずっと前の、なんにも意識を持つものなんていなかった、時間の経過はどうなるの?

ごす(8)ぼくは、特定の宗教を信じてはいないし、これからもそうなることはないと思うけど、ごくありふれたものが、すごく不思議だ、という感覚はいつも持っている。それで、科学はすばらしい営みだけど、それでわかった気になって、不思議の感覚がマヒすることは、恐ろしいことだと思う。

ごす(9)ごくありふれたものが、すごく不思議だという感覚は、いろいろなことを知りすぎた人よりも、たまたま見つけた綿毛をつまんで見つめている、小さな子どもの方が、ごく当たり前に持っていると思う。そして、科学は、その「ふしぎ」を深めてくれる。初心さえ忘れなければ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。