2011年10月16日日曜日

「フリーランスは素晴らしい」の連続ツイート

ふす(1)人間の感性とか、価値観はいろいろだと思う。ぼくにとっては、部屋を借りるのに「連帯保証人」を求めるというのは倫理的に絶対に許せない行為だけど、そうじゃないと大家が安心しないとかうんぬん言う人たちもこの世にいることも、もちろん知っている。

ふす(2)世の中には「フリーランス」に対する差別がある。ここで言う「世の中」とは、もちろん島国日本のことだけど。「大きな会社」に「所属」している 人には部屋を貸すけれども、「フリーランス」の人に対してはああだこうだ言うというのは、ぼくにとっては許し難い偏見に思われる。

ふす(3)友人の竹内薫が、あんなに本を書いてテレビやラジオでも活躍しているのに、家を借りるとき「フリーランス」だからと信用されずに、家賃を1年とか2年とか前払いさせられたそうだ。アホか? そんなに前払いできる人を「信用」しないって、一体どういうこと?

ふす(4)ぼくは、自分の「所属」はどこそこですとか、他人に「所属」はどこですか? などと聞くひとを、根本的に信用しない。そういう人が世の中にいてもいいけれども、ぼくは共感しない。フリーランスは最高の生き方だと思う。それで、何か問題でもあるというのだろうか。

ふす(5)ダニエル・ピンクは、2001年の『Free Agent Nation』の中で、「独立した働き手」たちが、いかにアメリカの社会を変えているかということを論じている。社会の中の「点」と「点」を結ぶのはその ような 人たち。フリーランスこそが、社会の流動性を担う。

ふす(6)坂本龍馬風に言えば、組織の論理から離れて「脱藩」しなければならぬ。もちろん、形式的には「社員」であっても良い。精神において「脱藩」していれば、その人は自由闊達さを手に入れられるし、何よりも吸っている空気が気持ち良い。

ふす(7)もっとも、「脱藩」しても、前にいた組織関係の仕事が多かったり、特定の取引先にぶら下がっていると、本当の意味での「フリーランス」とは言えない。フリーランスのポイントは、多様性。多くの人たちとかかわり、いろいろなことをすることが、フリーランスの特権。

ふす(8)フリーランスの活動を支えるツールの一つが、インターネット。自分の名前でグーグル検索した時に、どんな情報が出てくるか。その「グーグル時価 総額」こそが、その人のフリーランス活動を支える。そして、表現や発信自体は、誰にでもlow costでできる時代である。

ふす(9)時代の温度も変わってきていて、フリーランスに対する差別は、以前ほど意味がなくなってきているように感じる。不動産賃貸における「連帯保証 人」に関する愚かな習慣も、そのうち消えるだろう。より流動的で、しなやかな日本へ。それ以外の道はないから、抵抗するだけ無駄だよ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。