2011年10月6日木曜日

「えらい先生なんかじゃない、変人だよ」の連続ツイート

えへ(1)昨日のノーベル化学賞の発表をネットで生で見ていて、面白いな、と思った。スウェーデンの選考委員の先生が、シュヒトマンの「5回対称性」を持つ準結晶の発見が科学界から「なわけないだろ」といかに無視されていたかを強調していたからである。

えへ(2)日本のメディアのノーベル賞報道の特徴は、受賞者が最初から偉い先生みたいに報じていることで、実際にはそんなことはない。ATP合成の化学浸透圧仮説で受賞したミッチェルは、当時の学会からまったく無視されて、田舎の家を改造して自分で勝手に実験していた。

えへ(3)アナーキーなはぐれ馬が受賞することがしばしばあるのだけれども、日本のメディアは、あたかも最初から大先生だったかのように報じる。日本の中 のくそったれなヒエラルキー社会のマインドセットを、無意識のうちに投射しているのだろう。だから、ノーベル賞委員会の真意が伝わらない。

えへ(4)昨日のウェブの生中継を見ていたとき、チルアウトな音楽がかかっていて、おかしいな、ノーベル賞のサイトが、こんな音楽流すはずがないと思った ら、やっぱり流していた。クラブでかけるようなミュージックを流す。現代に向き合っている感じがノーベル賞の本質で、日本の事大主義とは無縁。

えへ(5)そもそも、日本のメディアは科学者がいかに変人であるかを報道しない。「進化論」のチャールズ・ダーウィンなんて、田舎の家に引き込んで、生 涯、職業なし。肩書なし。そういう人が偉大な仕事をするんだということを、組織や肩書き大好きな日本のメディアは報じない。

えへ(6)ダーウィンは、ある時期フジツボの研究に熱中していて、子どもは、大人というものは、みんなそんなもので、生活のどこかでフジツボをいじるものだとばかり思って育ったのだという。近所の友人に、「君のパパはいつフジツボをやるの?」と聞いたという。

えへ(7)ダーウィンが長年住んだダウンハウスの回りには散歩道があって、そこを周回しながら考え事をした。何周する、ということは健康のためもあって決 めていたのだけれども、一周、二周と数えると、それが思考を中断して邪魔になる。そこで、ダーウィンは一つ計画を立てた。

えへ(8)ダーウィンは、散歩道の真ん中に小石を置いて、そこを通る度に石を一つわきの方に蹴ったのである。こうすれば、何周と数えなくても、小石がなく なれば規定の周回を終えたとわかる。用意周到のようでいて、どこかぼけている。それが、進化論をつくったダーウィンという人。

えへ(9)相変わらず日本人が受賞したかどうかばかり報じたり、ノーベル賞委員会が選考にこめた一番大切なメッセージ(当時の学会の大勢と全く独立した発 見を、独りで、粘り強く浸透させたこと)を伝えない日本のメディアは、科学がロックンロールだということをわかっていないんだろう。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。