2011年10月22日土曜日

ひとは、この地上の生を懸命に全うし、亡くなったときに、かみさまになる」ことについての連続ツイート

ひか(1)ぼくには一つの癖のようなものがあって、説明を聞いたり読んだりしても、アタマの中で「カチッ」と当てはまらないと、入って来ない。日本の神道についての説明もそうで、いろいろな話を聞いても、一向にしっくりとした感じになっていなかった。

ひか(2)宮崎県、高千穂の天岩戸神社に行った時のこと。若い宮司さんが、天照大神の話をして下さっていた。「徳川家康さんは、お亡くなりになって、東照大権現という神様におなりになりました。菅原道真さんは、天満天神さまにおなりになりました・・・」

ひか(3)「同じように、天照大神さまも、生きていらっしゃるときは人間のお名前をお持ちになっていたと思われますが、そのお名前を、私たちは存じ上げておりません。」若い宮司さんがそのようにおっしゃった時、私は、アタマの中で、稲妻が走ったような思いがした。

ひか(4)徳川家康が亡くなって東照大権現になり、菅原道真が天満天神になるように、どなたか、古に大切な仕事をして、一生懸命生きていらした女性が、亡 くなって天照大神になられた。そう考えたとき、それまで腑に落ちなかった日本の神話が、急に親しく、大切な存在になったのである。

ひか(5)小林秀雄は、『無常といふ事』の中で、川端康成に向かって、「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、しでかすのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例があったのか」と言ったと書いている。

ひか(6)小林は続ける。「其処に行くと死んでしまった人間というのは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形を しているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」。だから、人間は、亡くなったときに、神様になる。

ひか(7)亡くなった人は、もう戻って来ない。しかし、その生前の姿、生き方は、縁のあった人たちの心の中にいきいきとあり続けている。つらいことや、苦 しいことがあっても、この地上での生を全うされた。その亡くなった方が、「神様」に感じられるというのは、ごく自然な心の働きなのだろう。

ひか(8)天照大神などのかみさまが、最初から存在すると思っているからわからなかった。地上の人が、懸命に生きたあとで、神様になられると考えたら、八百万の神々がいらっしゃることは、当然のことだし、私もあなたも、いつかは神様になる。

ひか(9)徳川家康さんは、まさに東を照らしたのだから、「東照大権現」という名前がふさわしい。自分の亡くなったおじいちゃんは、何という神様になられているのかな、と想像すると心温かい。神様の名前は、その人の生き方、ありありとした日常を映し、照らすのだから。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。