らま(1)落語には、江戸時代の人の智恵が詰まっていて、なんとも言えない味わいがある。何もなくても、貧しくても、そんな生活を笑って、楽しんでしまう。したたかな庶民の智恵が、停滞している今の日本にぴったりだと思えるのだ。
らま(2)たとえば、「あくび指南」。いろいろな稽古があるけれども、今度、「あくび」のやり方教えます、という看板が出たので好奇心の強いやつが行ってみよう、と言う。もう一人は、ばからしいそんなの、あくびのやり方なんて習って何になるんだ、と取り合わない。
らま(3)それでも、その師匠のところに行く。「ばからしい」と言っていたやつもついてくる。「それじゃあ、春のあくびをやりましょう」とお師匠さん。花見の季節、船遊びをしいて、ぽかぽかと日差しがあたたかく、船のゆれもここちよい。
らま(4)「船頭さん、船を川上にやっておくれ。船遊びもいいが、こうしていると、たいくつで、たいくつで、あー、ならない」とな。と師匠があくびをやってみせる。好奇心の強いやつはおもしろい、と思うが、連れは「ばからしい」とずっと取り合わない。
らま(5)そのうちに、あくびの「稽古」を見ていた連れが、「ばからしい。あいつは好きでやっているからいいけど、こうやってついてきたオレは、たいくつ で、たいくつで、あ〜ならない」とあくびをすると、それを見た師匠が、「ああ、お連れさんの方がすじがよろしい」と下げる。
らま(6)「あくび指南」がすばらしいのは、本当に何もないところから、「あくび」をするということを一つの「芸」として、その設定や、そこに至る道筋やら、工夫をすることで、奥行きが生まれてしまって、楽しみの時間を持つことができることだろう。
らま(7)「長屋の花見」。貧しくて卵焼きやお酒が買えないから、たくわんを卵焼き、お茶をお酒だと思う。それで、酔っている振りをする。「おれはお酒を 飲んで酔っぱらっているんだぞ。お茶を飲んでよっぱらっているんじゃないぞ」「おいおい、そんなこといちいち言わなくていいよ。」
らま(8)「その卵焼きとっておくれ」「はいよ」「私はね、この卵焼きが好きでね。ごはんといっしょに、ぽりぽりかじる。お茶漬けにしてもおいしいね。 やっぱり、本場は練馬かい?」「おい、そんな卵焼きがあるかよ。」下げは、「この長屋にいいことがありますよ。酒柱が立ってる。」
らま(9)経済成長がないことを「停滞」というけれども、それじゃあ江戸時代はほぼ停滞していたわけで、その中でも生活を楽しむことができる、という「落語」に表れている智恵は、間違いなくこれからの日本人にとって参考になるのではないかと私は思う。
※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。