2012年2月13日月曜日

典型的な知性よさようなら、非典型的な知性よこんにちは

てひ(1)「頭がいい」とはどういうことだろう。まず、しばしばある誤解をとけば、秀才は努力してできるようになるが、天才は努力しなくてもできるというのは嘘である。むしろ、天才は超人的な努力をする人。秀才は、中途半端な努力しかしない人。

てひ(2)脳の回路は、ある動作をしなければ可塑性も何もないのだから、天才は、それだけの履歴を通っている。だから遊び人の金さんのように、ぶらぶらと何もしないのに脳回路が形成されるということはあり得ない。もっとも、天才は努力を苦としないというのは本当だろう。

てひ(3)それで、いわゆる「IQ」で測れるような知性は、「典型的な知性」と言える。Spearmanの研究によれば、いわゆる学力には共通の因子、g factorがあり、このg factorに富む人が、勉強のできる人になるのである。日本で言えば、東京大学に行くような人となるのだろう。

てひ(4)私は別に東京大学が嫌いでも何でもないが(母校だから)、ふりかえってみると、才能のあるやつはそんなにいなかったな、と思う。勉強はできるが才能はない。これはつまり、勉強ができるのは典型的な知性に属することであり、才能や天才とは、非典型的な知性だということだと思う。

てひ(5)天才とは、どうやら脳回路の一回性の結びつきによるらしい。IQのような知性は、前頭葉の背外側前頭前皮質のような、脳の資源管理にかかわるいくつかの回路の動作である程度説明できそうである。実際、それを裏付ける研究もある。ところが、天才は、単一の因子では説明しにくい。

てひ(6)IQ的な頭の良さは収束進化するが、天才とは、生態学的なニッチがたくさんあって、しかもそこに至る道筋が死屍累々なのだろう。IQならば、上がればそれと同時に適応度も増すが、天才の適応度の山の周囲には、おそらくは深い谷がある。それもあって単一のモデルが当てはまらない。

てひ(7)インターネットに象徴されるグローバルな大競争の中では、典型的な知性はどんどんコモディティ化し、非典型的な知性こそが求められている。ここに東大や日本の没落の根本原因がある。だったら、どうやって非典型的な知性を発見し、育めばよいかを必死に考えた方がいい。

てひ(8)一つ確実なのは、ペーパーテスト偏重は全く無意味ということ。日本の大学は、いったい何時まで、試験で点数が一点でも高い方から採るのが「公平」だという欺瞞を続けるのだろう。典型的な知性にとってはぬるま湯かもしれぬが、それでは非典型的な知性に全く不公正である。

てひ(9)結局、非典型性ゆえに誰が天才になるのかわからないのだから、「場」として、差異を賞賛し、拡大する空気をつくるのが良い。誰が天才を開花させるか予測できないが、誰かは開花する。日本の発展を阻害している最大の要因は、みんな同じになれという同質化圧力。大学入試はその典型である。