2012年2月15日水曜日

ベーシック・インカムは、安全基地となり人々の自由競争を支える

べあ(1) 橋下徹さん @t_ishin が、今朝、「ベーシック・インカム」についてツイートされている。その趣旨に賛成である。私は、以前からベーシック・インカムの導入を真剣に検討すべきだと考えてきた。国の成り立ちを根本から変えようと思ったら、それくらいのことをした方がいい。

べあ(2)日本国憲法は生存権を保証する。ところが、「生活保護」の認定の現場ではさまざまな齟齬が生じていることは周知の事実である。「ベーシック・インカム」というかたちで経済状況に関係なく一律に給付を行うことで、生活保護認定にかかわる恣意的な行政運用のコストが削減できる。

べあ(3)もっとも、ベーシック・インカムにしても行政コストがゼロになるわけではない。これについては論文があって、つまり、権利があっても行使しない、あるいはできないような状態にある人(独居の人や、精神的な問題を抱えている人)を見つけ出し手当するコストがかかるというのである。

べあ(4)ベーシック・インカムが、経済システムとしてどのように成立するのかという理論的解析は興味深い。「ゼロ点」を再定義する、いわば「くりこみ」(renormalization)のようなものなのだろう。税率がどれくらいだと成り立つのか、定量的なモデルの構築が必要。

べあ(5)ベーシック・インカムは、人々が自由に競争すべきだというリバタリアンの思想と相性がいい。ある程度失敗しても、最低限度の生活はできるという安心感があるから、人はチャレンジできる。ベーシック・インカムが、発達心理学における「安全基地」(secure base)になる。

べあ(6)自由な競争が行われるためには「安全基地」を与えるセーフティ・ネットが必要。教育においてもそうで、経済格差が受けられる教育の格差につながっては、自由な競争が担保できない。「自己責任」は、実は市場の競争の自由を保証しない。基礎としての助け合いがあって、初めて大競争は起こる。

べあ(7)小泉純一郎さんの政権の頃から、国民が一貫して求めているのは、非効率とぬるま湯の行政の改革であり、それをきちんと唱えた政治家は必ず高い支持率を得ている。これは一種の生存本能のようなものであって、民間に比べて行政がぬるいというのは、多くの国民の偽らざる実感であろう。

べあ(8)公務員をされている一人ひとりの能力が低いわけではない。問題は、個人がその能力を十分に発揮できないシステムそのものの中にある。だからシステムを変えなくてはならない。ベーシック・インカムのような基本的なサポート体制の上の自由競争。日本再生の一つのひな型であろう。

べあ(9) 橋下徹さん @t_ishin に賛成する人も反対する人も、どうして氏が支持されているのかよく考えた方がいい。クロック数の高さと、自由への志向性。逆に言えば、公務員はクロック数が低いし、自由がない。地方にいくほど公務員がもっとも望ましい職業になる。そんな国はおかしい。