2011年8月3日水曜日

「爆発的なははは」についての連続ツイート

ばは(1)昨日、新潟に本拠を置くお笑い集団NAMARAの江口歩さんと話していて、爆発的な笑いの持つパワーを思いだした。もう腹を抱えて、苦しいほど笑っている時、私たちは何かから開放されている。もっと自由になっている。空気を読むのではなく、空気をつくっている。

ばは(2)川柳川柳師匠の「ガーコン」を末広亭で最初に見た時の衝撃は忘れられない。軍歌を大声でがなりたてる。日本が勝っていた時は明るいが、負け始めると暗くなる。そして終戦とともにジャズの洪水。爆発的に笑ったのは、それで何かから開放されたからだろう。

ばは(3)「軍歌」が悪いものだ、とでもいうような一時の風潮。そんな中、川柳師匠の「ガーコン」は、戦前から戦後への流れの実感を、歌に託して表現していた。だから、タブーから開放されて、笑う、そして、そのあとでほろりとして、生きていることそれ自体へと回帰していける。

ばは(4)忌野清志郎さんの「あこがれの北朝鮮」もまた、タブーから解放してくれる。「キムイルソン、キムジョンイル、キムヒョンヒ、キムヘギョン、おーいキムって呼ぶと、みんなが振り向く」最後は「いつかきっとみんな仲良くなれる差別も偏見も国境も無くなるさ」イイネ!

ばは(5)爆発的な笑いには、生命の解放がある。小学校2年の頃、給食の牛乳を飲んでいる時に笑わせるのが流行った。元気いっぱいのオレたち男の子。牛乳を飲もうとすると、笑うようなことを言って、ぱっと牛乳が吹き出る。口からも鼻からも吹き出る。あれにはマイッタ。

ばは(6)だからもう、給食が始まると、みんな必死に牛乳を一気飲みして、なんとか笑わされないようにした。オレたち本当にバカだったけど、あんなに命があふれていたこともないな。腹を抱えて笑えるってことは、生きているということさ。牛乳飲んでもおかしい年頃ってあるんだな。

ばは(7)ニーチェは、「悦ばしき知識」の中で、「悲劇の時代が終わり、喜劇の時代が来る」と予言した。笑うことで、私たちは重力の魔に抗することができる。ぐいぐいと追い詰めるような存在の重さを、笑って吹き飛ばすことができる。爆発的なははは。それで、何でも、オッケー!

ばは(8)ドリフの教室コントは、勉強が苦手で、教室にいる時間が苦痛な子どもたちを解放していた。「はい、この地図の記号は?」「ノース、イースト、ウェスト、ヒップ」。実際の教室ではできない、茶化しやフザケを見せることで、悪ガキたちは「生きるって楽しいかも!」と思えた。

ばは(9)この世には、私たちの命を窒息させるものがたくさんある。そんな時に、笑いを工夫すればいい。爆発的なははは。この世は、感じるものにとっては悲劇であるが、考えるものにとっては喜劇である。コメディアンは考えている。この世を解放するために、必死になって考えている。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。