2011年8月16日火曜日

「受験の罠」についての連続ツイート

じゅわ(1)受験についていろいろ言う人がいるが、その最大の特徴の一つはそれが「個人競技」だということだろう。一人ひとりが何点とるか、それがすべ て。他の人と協力しあったり、長所を出し合い、弱点を補い合ったりといった協調する能力は、まったく評価されることがない。

じゅわ(2)受験で評価される能力が、人間の多彩な力のごく一部であること。その点を除いても、受験には、それが「個人技」だという罠がある。受験で成功 体験を持つ者は、往々にして、自分の弱点を見つめ、それを他の人との個性の持ち合いで補うというすばらしい技を知らずに生きるのだ。

じゅわ(3)マイクロソフトはビル・ゲイツとポール・アレン、アップルはスティーヴ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック。グーグルは、ラリー・ペイジ とセルゲイ・ブリン。そして、ソニーは、井深大と盛田昭夫。二人が個性を持ち合って創業したからこそ、大発展する基礎ができた。

じゅわ(4)受験では、上位校ほど、オールラウンドな学力が問われる。しかし、協力を前提にした世界観の基では、一人はその「とんがり」をのばせばいい。 加えて、他人との協力を受け入れる度量があればいい。そんな当たり前のことが、受験の個人競技に慣らされた人間はできぬ。

じゅわ(5)わが母校ながら、東大生に共通した欠点は、自分の至らぬ点を認められないことだろう。ぜんぶ自分がやろうと思っている時点で、現代社会に適応的ではない。かえって、自分のダメなところを知っている劣等生の方が、コラボレーションにすんなり入る。

じゅわ(6)受験のわなは、それだけではない。そもそも、受験の成績と、「才能」はまったく関係ない。才能とはすさまじいもので、小説家として成功する人 が音楽家としてもうまくいくとは限らない。受験とは、才能がない場合でもだいじょうぶなように、保険を打つようなものである。

じゅわ(7)「キャッチ=22」は、ジョーゼフ・ヘラーが1961年に発表した小説。戦争の不条理から抜けだそうとしても、矛盾に陥って抜け出せない 「罠」を描く。受験にも、同様の「キャッチ=22」がある。受験で成功する人ほど、現代の文明をつくり出している原理に不適応となる。

じゅわ(8)たとえば、東京大学の受験を通して培われる人格と、アップルやグーグルの創業のために必要な人格の間に齟齬があること。これが、日本の停滞の 本質。受験を終えたら、「個人競技」のマインドセットをさっさと卒業して、コラボレーションの自由に飛び込まなければならぬ。

じゅわ(9)現実的には日本の受験文化はそう簡単には変わらないだろう。だとすれば、18でクリアしたら、全速力でunlearn(忘れ去る)すること。現代は、コラボしてナンボ。そんな明白な原理もわからなくさせている受験の愚は深いが、人間は愚行を簡単には改めない。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。