2011年8月15日月曜日

「空白」についての連続ツイート

くは(1)インターネットが、大量の情報を運んでくる現代。心理学者ジェームズ・フリンが報告した知能指数が上昇する「フリン効果」は行き渡っている。その一方で、不足しているものもある。ずばり、それは「空白」である。

くは(2)日本の自然は豊かである。少しでも空き地ができると、そこにいろいろな植物が生えてくる。土の中に埋もれていた種もある。風で吹かれてきた種もある。鳥が、木の種を運んでくる。あっという間に雑草が生え、時が経てば、そこに林が出現する。

くは(3)脳も、自然と同じこと。空白ができると、そこを埋めようとさまざまな活動が起こる。創造性とは、つまり、空白を設計することである。情報に追われ、フリン効果によって知能指数が上昇している現代人にとっての最大のリスクは、脳の空白が不足することである。

くは(4)目の前の課題に集中することも必要である。一方で、思い切って空白をつくる時間帯も必要である。心の中をからっぽにすると、忘れかけていたさま ざまなものがよみがえってくる。夢、希望、大いなる意志。仕事に追われて忙しくしていると、人間は空白欠乏症になってしまう。

くは(5)脳の回路の動作は、基本的に強制できない。ニューロンがお互いに結合したネットワークの本質は、「自発性」にある。自発性をうながすためには、脱抑制をすればよい。抑制を外しさえすれば、あとは勝手に活動してくれる。そして、空白こそが、脱抑制をうながす。

くは(6)創造性は、強制して押し出すものではない。空き地ができた時にそこに雑草や木が勝手に生え茂るように、脳の中に空白ができた時に、そこをさまざ まなふしぎなかたちやいろが埋め尽くすのである。試験の秀才は、脳の中の空白を埋め尽くそうとするから、独創性から遠ざかる。

くは(7)人間関係においても、「空白」が呼び水となる。「私は何でも完璧にできる」と自己完結している人は、友人や恋人を呼び込みにくい。どこか抜けて いる、他人が補完する余地があることが、他人を惹き付ける一つの「オーラ」となる。空白があってこそ、人と結びつくのだ。

くは(8)空白を信じるということは、つまり、機械的な制御ではなくて、生命の自発性に託すということである。空白を信じるということは、つまりは一つの 生命哲学である。空白に対してどのような態度をとっているかで、その人の生命の香ばしさがわかる。友人になれるかどうかわかる。

くは(9)空白がある限り、人間は成長することができる。まだ何も書かれていない紙ほど、脳を興奮させるものはない。空白をできるだけなくそうというのが 「管理」の思想だとすれば、これほど生命を窒息させるものはない。人生の少なくとも20%は空白にしておくのがちょうどよい。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。