2011年8月25日木曜日

「いいところをのばせばいい」ことについての連続ツイート

いの(1)自分を離れて自分を見ると、違ったところが見えるのが当然である。鏡を使えばそれが始まるし、ビデオで撮ったのを見ると、へえ、自分ってこうなんだ、と思う。他人の中に映る自分の姿は、いつも新鮮であり、驚きに満ちている。目が啓かれる。

いの(2)シンガポールに来て、いろいろな人と話していると、ああ、そうか、日本も捨てたもんじゃないんだなとしみじみ思う。鏡は、人々の眼差しの中にあるし、言葉のはしばしにあるし、街を歩いていて見かける日本的な文化の断片の中にある。日本って、いい国なんだ。

いの(3)もちろん、私たちは日本にいろいろな問題点があることを知っている。メディアや、時にはネットもそれに絡め取られている。しかし、外から見ると、そのような内部のゴタゴタは目に入らないで、かえってすっきりとした、まっすぐな日本の良さが人々の光に当たる。

いの(4)一つには、自分たちの良さには自分たちで気付きにくいということもあるのだろう。あまりにも当たり前過ぎて、それが外の目から見たら美質であるということに意識が当たらない。そしてもう一つ、グローバル化の中で大切な視点が、あるように感じる。

いの(5)どの国も日本と同じくらいの内部病気を抱えている。例えばアメリカ人と話すと、自分たちの国の政治や経済、学問のシステムがいかに堕落している かと延々と聞かされる。へえ、そうなんだ、と思う一方で、大変だね、だけど、そういうのにあまり興味はないんだよ、と思う。

いの(6)他の国、他の文化で興味があるのは、その良いところである。なぜなら、それは輸入できるから。貿易の対象になるから。アダム・スミスは、『国富論』で、国際分業論を唱えた。それぞれが得意なことをやればいい。不得意なこと、ダメなことは輸出する必要がない。

いの(7)結局、自分たちのいいところをのばせばいいんだよ。田森佳秀(@Poyo_F)がかつて言っていたように、他人は、自分のダメなところなんかに本当は興味がない。だって、それは交換の対象にはならないから。ダメどうして、共感して、なぐさめあうことはあるかもしれないけど。

いの(8)日本人は、ついつい自分たちの内部病理の探り合い、細かいところまでつついてしまいがちだけど、わかっているべきなのは、どの国にも同じようなことはあるということ。病気の総量は変わらない。そして、ダメなところは、国際交易の対象にならない。みんな興味ない。

いの(9)国と国の関係も、人と人との関係も変わらない。いいところをのばせばいい。ダメなところは、まあ、適当にやり過ごすことだね。ダメなことの総量 は、きっとどこでも変わらない。ほら、これ、って世界に向かって差し出すべきなのは、泥の中から咲いた、小さなきれいな花。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。