2011年8月24日水曜日

「島田紳助さんの引退」についての連続ツイート

(1)島田紳助さんが芸能界の引退を表明された。「暴力団」関係者との「交際」の責任を問われたという。十分な情報があるわけでなく、この件について確かなことが言えるわけでもないが、報道等に表れているある種の思考の「型」には、疑問を持たざるを得ない。

(2)原理原則の問題として、ある個人、集団が過去に法律に触れる行為をした、あるいはこれからする可能性が高いとしても、その人たちと一切「交際しな い」ことが求められるとは、私は考えない。法律に触れれば、罰せられる。そうでないかぎり、ひとりの人間であり、生活者である。

(3)島田紳助さんのように、「テレビに出る人」が、パブリック・イメージ、広報的判断から「暴力団」関係者との交際を避けるべきだ、という議論は成り立 つ。しかし、不法行為との関係がない生活者としての領域でも、接触があることは一切許されない、という論理は成り立たない。

(4)報じられている範囲で推定すれば、「過去にトラブルがあった時に助けてもらった」という件において、何らかの不法行為があったのかどうか、という点 は、問題になるのだと思う。この点についての真相は、私にはわからない。しかし、接触を持つこと自体が許されないとは、私は思わない。

(5)「黒い交際」にはもっと奥がある、だから引退したのだ、と考える人たちがいる。島田紳助さんの場合がそれに相当するかどうか、私にはわからない。少 なくとも言えること。メールをやりとりしたことなどが挙げられているが、これは原理原則からして引退の理由にはなり得ない。

(6)「暴力団」と言われる人たちが、過去に、そして今も犯罪行為をしていることが事実であり、社会的にそのような活動を減らしていきたい、という意志が 正当なものだとしても、そのような「浄化」運動をする側が、人間としての原理、原則に反する考え方をとるのは間違っている。

(7)たとえば、公衆が利用する浴場などで、「刺青の方はお断りします」と書いてある場所があるが、目にする度に、そのような表示をする側の方が、違法で あり差別であると感じられることが多い。暴力行為を社会から減らしたいという動機付けは肯定できても、手段が間違っている。

(8)たとえ、過去の履歴から違法行為をする蓋然性が高い、と推定される個人、集団がいたとしても、実際に違法行為をする、あるいはしようとしていない限り、生活者として常識の範囲内で接触を持つこと自体が悪いことだとは、人としての原理原則に照らして私には思えない。

(9)「引退は当然」「一緒に写真に収まっていただけで問題になる時代ですから」などと、「識者」が「コメント」する現状に危惧を覚える。もちろん暴力は 違法行為はいけない。しかし、それを糾弾する側が人としての原理原則を考えないで、恣意的に行動するような社会は危うい。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。