2011年8月7日日曜日

「変化率」についての連続ツイート

へり(1)人生の夢は、大きなものほど遠い。そこにどうやってたどり着いたらいいのか、途方にくれる。とても、届かないと思う。そんな時には、「変化率」に注目する。自分が、日々、どれくらい進んでいるか。気づきを重ねているのか。

へり(2)子どもは、どこに行くのか知らない。将来の夢をたずねる時、その通りになると思うひとはいない。ただ、子どもは、驚くべき変化率を見せている。毎日が新しい。発見がある。だから、一学期が長い。ある種の時間の知覚は、どれくらい変化しているかに依存するのだ。

へり(3)オスカー・ワイルドは、「自分自身になろうとする人は、どこに行くか知らない」と言う。自己実現は、もともと、特定のゴールがあるわけではない。ただ、自分が変わりつつあるという、無意識のうねりだけが頼りである。自分の経験を、常に、小学校の教室の静寂と比較せよ!

へり(4)変化し続けてさえいれば良い。それが生命の顕れであり、どこかに向かっている証しである。小林秀雄は、常々、絶対に壊れない舟のエンジンの話をしていたという。どんなにゆっくりでも、前に進んでいさえすれば、必ず「変化」という生命のもっとも大切な価値が担保される。

へり(5)今日、私は、昨日に比べてどれくらい変わっているか。昨日一日、どれだけの発見があったか。出会いがあったか。価値観を変えるような衝撃はあったか。そっちへ行こうという感動はあったか。そのような「変化率」だけが、私たちの生命体としての勢いを証言する。

へり(6)人生は、揺れ動いてナンボである。これまでの人生のあり方をリセットして新しい方向に行こうとでもいうような、そんな感動と熱狂が、生命固有の慣性(モメンタム)と拮抗して、火花散る生命のダイナミクスを生み出す。変わっていいんだよ。変わっちまえ!

へり(7)もし、人生の大目標があるならば、それは北極星のように不動の輝きとして見上げていればいい。生命は、遠い怜悧な輝きとは異なる、地上のゆらめきの中にある。命の揺れを担保するのは、「今、ここ」の私が現に変化しつつあるという、その実感の中にしかない。

へり(8)ある時、あなたは、自分の周囲を見回す。その状況、その場にいる人、あなたの役割、人々のまなざし。その時、あなたが、「一年前には、こんな光景は想像できなかったな」と思うことができれば、あなたの人生の変化率はきっと勢いを失っていない。

へり(9)創造性の最高のかたちは、自分自身が変化することである。子どもの日常が、水の上をきらめいて飛ぶカワセミのような突き上げるような変化に満ちているように、あなたの人生よ、たとえ、それがどのようなものであるとも、揺れ動く変化率の編成列車であれ!

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。