2011年8月9日火曜日

「キャリア・パス」についての連続ツイート

キャパ(1)ある人生の道筋(キャリア・パス)を設定すること自体は、大切なことである。たとえば、小学校の時から塾通いして、「有名」大学を目指す。そのようなキャリア・パス自体は、良いこともあるだろうし、否定すべきものではない。ある目的のために努力することは貴い。

キャパ(2)あるキャリア・パスに適応できるのは、文脈を引き受けて機能する脳の大切な働きである。眼窩前頭皮質を含む回路が、求められていることを察知し、それに合わせた行動を生み出す。そのようなことができるのが「優等生」である。

キャパ(3)自分自身が、あるいは自分の子どもが社会の中で認められたキャリア・パスに適応できる「優等生」になる。それはそれで良い。問題は、外れてしまった時のこと。すべてのシステムは、それに適応できる人だけでなく、適応できない人のことも考えて設計しなければ、意味がない。

キャパ(4)物理学者のアルベルト・アインシュタインは、ドイツのギムナジウムの教育を受けた。厳格な、典型的な詰め込み教育。アインシュタインはドロップ・アウトして、ヨーロッパ中を放浪した。独自の思想に基づく「相対性理論」建設への道筋が始まったのである。

キャパ(5)厳格なギムナジウム教育からドロップアウトしたアインシュタインが、人類の歴史を変える相対性理論をつくる。独創の天才を生み出すには、詰め込み教育のシステムをつくり、そこから逸脱する学生が出るのを待てばいい、という論も成り立つのである。

キャパ(6)どんなキャリア・パスでも、完全ということはない。理想とされるキャリア・パスに適応し、「優等生」として幸せに暮らすのも一つの人生。一方、ドロップ・アウトしたからといって、人生が終わるわけではない。逸脱する人のことも含めて、制度を設計しなければならない。

キャパ(7)日本の塾通い−>進学校−>有名大学−>大企業というキャリア・パスは、すでに問題を噴出させているが、それ以前に、すべての制度は、そこから逸脱する自由を許容するし、また人生は制度よりも広いということを認識しておく必要がある。

キャパ(8)入試に落ちたら、どうするか。会社に入れなかったら、どうするか。その時の覚悟、工夫さえしておけば、人生は大丈夫である。システムから逸脱する時に、初めて真価が問われる。システムはどんなものでもどうせ横暴なのだから、そこへの適応を、マジメに考えない方が良い。

キャパ(9)ギムナジウムからドロップ・アウトしてヨーロッパ中を放浪したアインシュタインの理論は、世界を変えた。一方、当時のエリート教育に適応した秀才たちのことは、誰も知らない。システムへの埋没は、人を無個性にする。そのことは、世界のあらゆる文化、時代に変わらない。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。