2012年4月7日土曜日

自分の意見に疑いを持たない人は、あやうい

じあ(1)この一年の日本の変化を見ていて、一番歓迎すべきことは、発言する人たちが次第に増えてきたことだろう。政治的な課題について、自分の意見を表明する人たちが表れてきた。ツイッター上でも、私がフォローしている人、そのRTだけを見ても、さまざまな意見が飛び交っている。

じあ(2)特に、英語で言うところのstrong opinionを持つ人たちが増えてきた。現状のここが問題で、未来はこうでなければならないと明快に主張する。橋下徹さんはその代表格だが、社会のさまざまな分野から、strong opinionの担い手が出てきた。

じあ(3)このような状況の変化は、ツイッターのようなソーシャル・メディアの登場に促されたことも事実だが、一方で日本という国がどうすることもできない状態になっていることとも関連する。最近は、「国が没落する時とはこういうものか」という思いを抱くことが多くなった。

じあ(4)「座して死を待つ」よりは、意見を表明した方がいい。そう思う日本人が増えてきたのだろう。これは歓迎すべき画期的な変化であり、日本の社会が、発展から没落のフェイズに入って、皮肉にも成熟してきた一つの証拠だろう。みんな大いに百家争鳴した方がいい。

じあ(5)ただ、気になることが一つある。それは、日本人独特の「空気を読む」感じが、意見の表明にも表れているように感じることである。たとえば、脱原発がトレンドになると、原発に反対する意見は書きやすいし言いやすい。橋下改革がトレンドになると、それに乗る意見は書きやすいし言いやすい。

じあ(6)死刑制度についても、国民の多数が存続に賛成の状況で、「被害者のことを考えろ」などという意見は、書きやすいし言いやすい。2ちゃんなどのローカルな文脈では、近隣諸国の悪口は、書きやすいし言いやすい。ソーシャル・メディアを飛び交う意見は、案外空気を読んだものだったりする。

じあ(7)タイムラインを見ていて、本当に価値があると感じるのは、「トレンド」に抗した反対意見を言っている人である。たとえば、橋下徹さんの力に私は期待をこめた注目をしているけれども、それに反対する内田樹さんの意見こそが、現在の日本では価値があるとどれくらいの人が気づいているだろう。

じあ(8)日本人が、strong opinionを言ったり書いたりするようになったのはよいことで、ただ、まだ練習、学習期間にあるのだろうと思う。時流に沿っていないことこそを、自分の判断で主張し続けられるようになったとき、日本の社会の成熟はほんものになったということになるのだろう。

じあ(9)自分の意見に疑いを持たない人は、あやうい。危うさは、「こうあるべき」というイデオロギー的決めつけが、時流と合ってしまったときに最大になる。強い意見を言うのはいいけれども、トレンドに乗ってかさにかかるのは価値の小さいことと、発言者は自覚した方がいい。