2012年4月20日金曜日

新文明は隕石の落下よりは、新しい生命の登場ににている

しあ(1)「スティーヴ・ジョブズ」の電気を書いた人による、アインシュタインの伝記を読んでいるけれど(英文)面白い。相対性理論が、当時のひとたちにいかに大きな衝撃を与えたかということがわかる。日蝕の際に光が曲がることが確認されたときには、新聞に大きなニュースとして載った。

しあ(2)新しいことが出てくると、それによって私たちは旧来の世界観が揺るがされるように感じる。その時に見えるきらめく新宇宙は、おそらく私たちの最良のイリュージョンであって、実際の世界は、それほど根底から覆ってしまうわけではない。相対性理論も、そうであった。

しあ(3)アインシュタインの師であるミンコフスキーは相対論を4次元時空の数学としてまとめた。確かに私たちの住む宇宙は4次元として知覚されるようになった。しかし私たちは相変わらずぼんやりと生きていて、一般相対論はGPSの計算に使われている。革命はなったが、日常が続いた。

しあ(4)インターネットが登場した時に、革命的だと皆思ったし、また実際に革命的であったが、私たちはその時どうも幻想としての新宇宙を見てもいたのではなかったか。特に、しばしば使われたメタファーである「隕石」というイメージは、きっと適切ではなかったのではないかと思われる。

しあ(5)インターネットは隕石であり、その落下によってかつて恐竜が滅んだように、さまざまなものが滅びる。そんな風に予想された時期もあったが、実際には旧来のものも存続し、インターネットによって変質することはあっても、かえって進化、強靱化して存在し続けている。

しあ(6)新聞も、テレビも、インターネットという隕石の落下によって打撃を受けると予想されたが、案外しぶとく残っている。ソーシャル・メディアの役割についても、きらびやかな未来が夢見られたが、案外頃合いのところに落ち着いている。新文明の登場は、隕石の落下ではなかったのだろう。

しあ(7)インターネットという新文明の登場は、おそらくは隕石の落下による生態系全体の消滅、更新というよりは、新しい種の登場による生態系のバランスの変化、環境連鎖の推移の方に似ている。確かに新しい種は登場した。しかし、そのことで関係性が調整されて、かつてのものも存在し続けている。

しあ(8)生態系の歴史を冷静に考えれば、インターネットがどのような世界に私たちを誘うかは、より正確に予言できるのであろう。それでも、私たちは新しい世界の入り口できらびやかな刷新を夢見ることをやめない。その幻想は、おそらく私たちの精神生理の根幹に根付いている。

しあ(9)入学や入社、転職、引っ越しなどで環境が変わったときに、その向こうにきらびやかな新しい世界が待っているように思う。人間の愛らしい心性は文明の推移にも適用され、私たちはそれほどでもなかったという幻滅を味わうことになる。それこそが人の世の常であり、きっとそれでいいのだ。