2012年4月8日日曜日

えいやっと決めてしまって、官僚機構が整合性をつける

えか(1)しばらく前に、シンガポールに行って、国会議員の人と話していた。電子教科書の話になって、「日本ではいろいろ議論があるんだけど」と言ったら、その人は「えっ!」と驚いた顔をしている。「シンガポールでは、とっくの昔に導入しています」。日本は今や後進国の認識である。

えか(2)韓国でも、年限を区切って、電子教科書への移行を完了することが決まっているという。それに比べて、日本の動きはあまりにも遅い。「紙の教科書の情緒が失われる」などといった、根拠の薄弱な守旧派の戯言につきあっているうちに、次世代のリテラシーを養う機会が失われていく。

えか(3)中村伊知哉さん(@ichiyanakamura)は、教科書の電子化への動きの中心にいらっしゃる方。慶応大学の教授をされているが、以前は官僚だったこともあって、実務的な知識とセンスに長けている。その中村さんが指摘されるように、電子教科書への移行にはさまざまな準備がいる。

えか(4)特に私が注目するのは、検定制度との絡みで、電子教科書になって、ネットへも接続することになった時に、今の一字一句まで揚げ足をとるような検定制度は、維持できない。教育の「標準化」という考え方が、オープンなネット環境になじまない。電子教科書が、日本の教育が変わる起爆剤となる。

えか(5)電子教科書化にはその他にもさまざま制度改正、準備がいるという中村さんの指摘はまっとうなものだろう。それに対する、@May_Roma さんの、「なんでそんな議論が必要なんだろう…狂った国だ」という反応も、至極まっとうなもの。だからこそ、このやりとりをおもしろいと思った。

えか(6)日本では、実務的な準備の大変さが、何もしないことのいいわけに使われることが多い。東大の秋入学への移行にしても、「こんなに準備が大変だ」といいわけをする人がいることは容易に想像できる。しかし、さまざまな制度の間の「整合性」をとることは、やろうと思えば案外できるんだよね。

えか(7)逆に言えば、霞ヶ関の官僚機構はさまざまな制度の間の整合性をとることは得意である。だから、電子教科書の導入は、たとえば「2015年までに完了する」と宣言して、決めてしまえばいい。それは、政治の役割。整合性をとる仕事は、優秀な官僚機構に任せればいいんだ。皮肉じゃないよ。

えか(8)改革というものは、細かい制度を変えて、整合性をとるという「積み上げ」では決してうまく行かない。えいやっと、大きな結論を最初に出してしまえばいいのである。その上で、後始末は淡々と実務的にやる。そのとうな時系列でやらないと、今やアジアの後進国である日本の現状は変わらない。

えか(9)先日Tokyo International Schoolに行った時、幼稚園の段階から、一人一台iBookを持っていて、ネットを調べながら授業を受けているのを見て、ああこれはダメだ、日本はもう絶対に勝てないと思った。一字一句まで検定する紙の教科書は、現代の恐竜である。