2012年4月18日水曜日

ぼくが、徳川家康を好きになった理由

ぼと(1)小学校の頃、歴史を習ったとき、信長、秀吉、家康のうち誰が好きか、という話になった。果敢に大胆なことをやりつづけた信長や、貧しい生まれから天下人まで上り詰めた秀吉が好きだ、という人はいても、家康が好きだ、というやつはまずはいなかった。家康は人気がなかったのである。

ぼと(2)あるとき、「ぼくは家康がいちばん好きだ!」と言った変わったやつがいた。「なんといっても250年続く江戸幕府をつくったのが偉い!」と。そいつは、小学生のくせに、おっさんのような不思議なやつで、「ああ、こいつだからか〜」とみな納得をしたのだった。

ぼと(3)中学、高校と進む中で、日本の歴史についての見方、考え方は深まっていったが、「家康が好き!」という気持ちは、一向に起こらなかった。家康の中に、空気を読んで、根回しをして、じとじとやっていく、みたいな、日本的なものの起源を読んでいたのかもしれない。

ぼと(4)流れが変わったのは、大学の時に日光の東照宮に行った時のことである。「見ざる聞かざる言わざる」を通り越して、いよいよこの先に家康の墓がある、という場所に来たとき、門のところに小さな猫が彫ってあった。左甚五郎作と伝えられる「ねむり猫」である。
ぼと(5)ねむり猫のまわりには、小鳥が飛んでいる。鳥をとって食べるはずの猫の近くで、小鳥たちが安心して遊んでいる。墓所の入り口に、「平和」の象徴としてそんな彫り物がある。権力者がかわいい意匠を施す趣味の良さに感心するとともに、「家康って案外いいやつかもしれない!」と思い出した。
ぼと(6)戦国の世を終わらせ、天下人になったのだから、もっとおどろおどろしい、権力を象徴するような彫り物をすることもできたのに、ねむり猫は鳥たちと遊んでいる。家康はいいやつで、日本の国はいい国だと思った。それが、私の家康観の変化の始まりのきっかけだった。
ぼと(7)家康のことを最終的に好きになる、決定的なきっかけとなったのは、一枚の絵との出会いである。「しかみ像」と呼ばれる、家康の肖像画。http://bit.ly/I49rpr 武田信玄との戦いに負けて逃げてきたときの自分の絵を描かせて、一生戒めとして近くに置いたのだという。
ぼと(8)一説には、信玄との戦いにやぶれ、命からがら、ほうほうのていで逃げてきたときに、あまりにもびびってうんこをもらしてしまった。そのおもらしをした自分の最低にみっともない姿を、家康は描かせて「しかみ像」としたというのである。それを知って、ぼくは、「家康サイコー!」と思った。
ぼと(9)お墓に至る門のところに、ねむり猫と、周囲で遊ぶ小鳥たちを描く。合戦に負けて、びびってうんこをもらしながら逃げてきた自分の姿を戒めとする。そんな人間像を知って、私は家康をいいやつだと思うようになった。決めつけてはいけない。どんな人にも、人間の幅というものがあるのだ。