2012年4月10日火曜日

美人とはなにか

びな(1)学会でアリゾナ州にいる。今朝ABCを見ていたら、何でもミスワールドか何かの大会で、ブロンドの参加者が実は生まれつきのブロンドではなかっ た、と失格になった、という話題をやっていた。大会委員長か何かが不動産王のドナルド・トランプとかで、「トランプふざけるな」とか言っている。

びな(2)西欧では、「ブロンド」こそが最高という美意識があるようだが、そのブロンド美人の象徴である、マリリン・モンロー(本名ノーマ・ジーン)は実 は染めたブロンドだということはあまり喧伝されない。いずれにせよ、美の基準というものは多分に政治的なものなのだろう。

びな(3)科学的には、美人は「平均顔」だと言われている。目の間の幅が、顔の幅の46%、目と口の間の距離が、顔の長さの36%だともっとも「魅力的」だと認識されるが、これは、全女性の平均値であることが知られている。

びな(4)また、男性が自分の容姿を棚に上げて美人を好む傾向があるのは、社会的な動物である人間にとって、多くの人が望む美人をパートナーとすること が、一つのステータス・シンボルだからと言われている。英語で、「trophy wife」(トロフィー妻)という言葉があるほどである。

びな(5)このように、美人の基準が社会性を背景にしているということは、当然そこに政治的強弱が絡むことになる。力を持つ男たちが、美人の基準を作る。 ミス・ユニバースの日本代表のメイクが日本人にとっては違和感があるとはよく言われることだが、そうしないと「世界標準」では勝てないのである。

びな(6)先日聞いた話では、ミスの世界大会の有力なスポンサーである中東の美意識を反映して、優勝者が選ばれる傾向があるという。要するに金を出す人たち(政治的に力を持つ人たち)が美の基準を決める。これは、美が社会的に構築される以上、仕方がないことなのだろう。

びな(7)このように、美というものは政治的なものであるが、一方、もっとも政治から自由なものでも ある。政治的権力というものは、自分以外の弱者を必要とする。独裁者は、従う国民がいなければ、無力である。ところが、美は、それ自体で完結している。美 を持つ者自体は弱いもので良い。

びな(8)政治権力や、お金持ちは、権力を行使したり、お金を使ったりする相手がいなければゼロに等しいが、美は、それ自体で完結している。ここに、美の 基準を作るものは権力であるのに、美自体は権力から独立しているというパラドックスが生じる。そのずれこそが、人々を魅了するのだろう。

びな(9)今朝見たABCの番組に戻る。ミス候補のブロンドが、生まれつきのブロンドではなかったと失格にするのは、美は無垢なものであるべきだという権 力者側の思い込みに由来している。一方、ミスを選ぶ不動産王トランプ氏は、お金の力で他者を従えて自分の価値を生む。なんと皮肉なことだろう。