2012年4月18日水曜日

原子力は、日本人の理想主義とは相容れないものになってしまったが、果たしてそれでいいのか

げに(1)原発の再稼働をするかどうかが大きな争点となっている。政府や電力会社の、原発を稼働させないと電力需給がひっ迫するという説明に不信を抱く人たちも多い。計算上は、火力や水力、再生エネルギーなどの電力源を積み上げれば、なんとか夏の需要期も乗り越えられるのかもしれぬ。

げに(2)火力発電ではコスト高になるという議論には、原子力発電の「外部不経済」が考慮されているのかという疑問がある。直接の費用ではなく、廃炉や、核廃棄物処理、さらには今回の事故のような潜在的なコストを考慮してもなお火力発電が割高になるのか、客観的に試算すべきである。

げに(3)一方、国のエネルギー安全保障という観点から見たときに、できるだけ多くのエネルギー源を確保しておくべきだという主張もあり得る。現在の状況で入手できるエネルギー源を積み上げれば足りるというだけでは、エネルギー安全保障上十分であるという議論にはならない。

げに(4)政府が、原発の再稼働を進めようとする背景には、エネルギー安全保障上の考慮があるのではないかと推察する。たとえば、イラン情勢が緊迫し、ホルムズ海峡に支障が生じるようなことがあれば、原油の輸入が止まる。もしそのような懸念を抱いているのならば、正直にそういうべきだろう。

げに(5)第二次大戦後の日本人は、素朴な平和主義を美質としてきた。二つの原爆を落とされ、大空襲の被害を受ける中で、たとえ安全保障上の必要があったとしても、不必要なリスクをとるべきではないと考えてきた。事故をきっかけとした原発への拒否感には、そのような背景があると私は考える。

げに(6)第二次大戦の戦勝国であるイギリスやアメリカは、核兵器はもちろん、原子力発電を放棄する気配すら見せない。安全保障ということが、リスクをとるということと表裏一体であることを自然に受け入れる文化。善し悪しは別として、日本の理想主義との対象は著しい。

げに(7)脱原発を志向する人たちの理想主義には、共鳴する。一方、現実的な安全保障上の観点から、原発を全廃することが望ましいのか、そもそも可能なのかということについては、判断が難しい。政府は、もし安全保障上の観点から再稼働をしようとしているのならば、ストレートにそう言うべきだろう。

げに(8)経済からの、電力コストが上昇することを懸念しての原発再稼働への圧力は、相対的な意味しかないとも言えるかもしれない。しかし、日本のエネルギー安全保障という観点はより深刻であり、理想主義は、たとえそれがどれほど麗しいものであったとしても、持続可能なものであるとは限らない。

げに(9)再生可能エネルギーの開発は、全力で進めるべき。一方、原発がなくてもエネルギーは足りるという議論は、世界情勢の中で起きうる蓋然性を十分に考慮したものとは、私には思えない。イギリスやアメリカは、徹頭徹尾実際的である。より観念的なドイツの風潮は、おそらく参考にはならない。