2012年5月2日水曜日

権威って、なんだっけ?

けな(1)昨日、新聞を読んでいたら、東浩紀さんが憲法改正案をつくった、という話が出ていた。一方、別の面に、ツイッターの使用についての社内審議会のようなものがあって、そこに、憲法学の代表的な研究者の先生が出ていらした。その両紙面を比較して読んだときに、私はうーむと思ってしまった。

けな(2)これは、筑摩書房の増田健史と会ったときにいつも激論になるところなんだけど、そもそも、日本の憲法学って何なのだろう? 戦後、9条がどうしたとかいろいろやってきたわけだけど、結局、GHQの圧倒的な影響力の下につくられた憲法であることは否定できない。

けな(3)現実の世界は狭い意味での学問になんかは従わないし、むき出しのリヴァイアサンが暴れることもある。それで、敗戦して占領されて新しい憲法ができてしまうこともある、ということを引き受けた学問と、あたかも最初から憲法が金科玉条としてある、という学問は違うと思う。

けな(4)日本の法学界の「りっぱな」先生方の感覚から言えば、東浩紀さんのように自分で新憲法案をつくってしまうというのは「トンデモ」なんだろう。それで、現行の日本国憲法の条文の細かい解釈論かなにかやっている方が、「まともな」学問なんだろう。しかし、ほんとうにそうなのかね。

けな(5)どんな学問にも、適用限界というものがある。そして、戦後の法学界の適用限界は、きわめて狭いという印象を否めない。早い話、多くの自殺者を出す原因となっている民法の連帯保証規定をこんなに長い間放置している学者たちが、まともな学問をやっているとはぼくには思えない。

けな(6)結局、日本の法学のような学問における「権威」の構造は、明治以降の輸入学問の形式を本質的なところで踏襲しているのだと思う。その学者が、この世界のリアルな問題について、どれくらい真剣に深く考えたか、ということよりも、輸入の総代理店がここ、ということに、権威が由来する。

けな(7)東大法学部が法学界における「権威」であるというあの業界の妙な思い込みも、結局、明治維新で東大が「文明の配電盤」の総代理店だった、という事実に由来するに過ぎぬ。実際に画期的な学問がそこで行われた、というメリトクラシーに基づくものでは必ずしもないのだ。

けな(8)先日、日本の文系学部の「偏差値」というやつを見ていたら、相変わらず東大文一がトップだった。いみわからないよね。日本の実定法しか知らない人たちが、なぜグローバル化の時代のエリートなのか。東大文一の偏差値が暴落したとき、初めて日本は本当に変わった、と言えるのではないか。

けな(9)権威の暴落、つまらなさは、もう尋常ではなくなっていて、裸の王様が裸だとみんな気づいてしまっている時代。本気で本質を考え、適用限界を自ら設定せず、野生の猛獣のように自由に考え、疾走する。そんな本物の知性こそが賞賛される国に日本はなるのだと私は案外真剣に考えています。