2012年5月18日金曜日

中学から高校に行くとき、成績で学校を分けているんじゃねえよ、タコ!

ちせ(1)そもそも、ぼくは学力で人を見る、という発想を持ったことがなかったらしい。覚えているのは、小学校2年くらいのときに、そうか、勉強が得意な 子と、苦手な子がいるんだ、と砂場で気づいたことで、なんだか重苦しい気分になった。苦手な子の体験を、想像してみたのだ。

ちせ(2)小学校6年の時、アライテツヤに鉄棒のところに呼び出されて、けんちゃん、中学に行くと勉強大変だぞ、クラスで一番だと、○○高校、学年で一番 だと、○○高校だ、と言われた。ぼくはそんなことを初めて聞いたから、へえーと思った。そして、ものすごい息苦しさを感じた。

ちせ(3)そして始まった中学は、人生で一番息苦しさを感じていた時代だったかもしれない。公立だったけど、先生たちは成績で学校が決まる、勉強しろみたいなことを言い続けた。それで、仲間たちが分断されていった、ぐれるやつとか、勉強という私利私欲に走るやつとか。

ちせ(4)習熟度別に授業をするというのは合理的かもしれない。しかし、成績で高校自体が分かれていく、というのはよく考えたらおかしい。「偏差値」によ る選別は、高校から始まっていくが、なぜそのようにしなければならないのか、原理原則に返って考えれば、合理性がないように思う。

ちせ(5)同じ高校に、成績がいいやつも、軽音に走っているやつも、サッカー夢中なやつも、ぐれころーまんすたいるなやつも、みんながいて、それでいいん じゃないかと思う。ぼくは自分が行った東京学芸大学付属高校が大好きだったけど、中学の仲間たちと一緒に勉学する高校生活でも、良かったと思う。

ちせ(6)体育館の裏で、煙草を吸って紙くずや枯れ草に火をつけていた関根が、どういう高校生活を送るのか見たかった。身体がでかくて番長、実はやさしい 山崎と話をしたかった。同じ高校にあいつらがいた過去というものを、ぼくは容易に想像できる。勉強の方も、別に困らなかったんじゃないかな。

ちせ(7)いわゆる「エリート高校」というものが、あってもいいと思うけど、なくてもいいんじゃないかと思う。微積分ハンパないやつと、分数ができないや つが、同じ高校に習熟度別にいたって、いいんじゃないか。それで困るとは、思わない。たかが、大学入試程度の勉強である。エリートもくそもない。

ちせ(8)一番肝心なこと。高校や大学は別でも、出ていく社会は同じ社会。勉強が得意なやつも、苦手なやつも、同じ社会に出ていくんだから、中学から高校 に行くときに別々にしなくたっていいじゃないか。どうせ、高校の勉強なんて、大したもんじゃないんだ。なんで偏差値で脅して分けようとするかね。

ちせ(9)ぼくの言うことは、おそらく極論なのでしょう。極論でもいいです。「成績」で学校を選別する今の社会のあり方が極論だと思うから。なんでこんなことを書いたかというと、『プロフェッショナル』OBの細田美和子さん(@miwahoso )のツイートがあったから。中学生に幸あれ。