2012年5月11日金曜日

間が悪いということが、世の中にはあるよね

まよ(1)さっき、コンビニに歩きながら、突然あることを思い出した。記憶というのは、不思議なもので、今生きている中で何らかの連想が働いたのかもしれないし、生きる中で、そのことを思い出すことが、バランスをとる上で必要だという無意識のダイナミクスがあったのかもしれない。

まよ(2)私が小学校の頃から、『刑事コロンボ』がものすごくはやりだした。「うちのカミさんがね」というぼさぼさの姿が、一世を風靡。ピーター・フォーク主演のこのドラマを、私は熱心に見た。ノベライズした本も十冊くらい持っていたから、よほど熱心なファンだったのだろう。

まよ(3)『刑事コロンボ』は、倒叙推理もので、最初に犯人がわかっていて、それをコロンボが推理して追い詰めていく。だから、犯人目線の映像がふんだんにあって、犯行をする、という立場に半分寄り添って物語が展開していくという、今考えれば斬新なスタイルでドラマが進行していた。

まよ(4)あれは大学生の頃。『刑事コロンボ』の放送があって、そのトリックが印象的だった。犯人が、エレベーターの中で証拠隠滅する。傘でエレベーターの天井を持ち上げて、その上に、ピストルを隠して、何事もなかったかのように出ていく。その映像が面白くて、鮮明な記憶に残った。

まよ(5)ある日、小学校の時からの親友の井上智陽(@eunoi)と、日本橋の高島屋に行った。スペースシャトル展か何かをやっていて見に行ったのではないかと思う。エレベーターに乗っているときに、刑事コロンボのことを思い出して、「そういえば、智陽さ、この前の見た?」と切り出した。

まよ(6)エレベーターの中には、私たち二人だけ。私が、『刑事コロンボ』のトリックの話をすると、井上もそれを見ていて、「こうやるんだよな」とよせばいいのに天井を傘で押した。そうしたら、信じられないことに、透明なプラスティックでできたその天井が、どさっと落ちてきた。

まよ(7)天井が落ちた瞬間、エレベーターの扉が開いた。やばい! と思って出ようとすると、乗ろうとしたおじさんが、「お前たち、直していけ!」と怒鳴った。そうしたら、高島屋のひとが、今考えてもやさしい声で、「あっ、直しておきますから、いいですよ」と声をかけてくださった。

まよ(8)顔から火が出るんじゃないかというくらい恥ずかしい思いで、ぼくたちは逃げるように立ち去った。よりによって、井上が傘で天井を押して、落ちた瞬間にエレベーターの扉があいて、おじさんがいて、店員さんがいるとは、間が悪いということが、世の中には確かにあるのだ。

まよ(9)今考えても不思議なのは、天井が落ちたのを見たとき、高島屋のひとが即座に「だいじょうぶですよ」と言ったこと。『刑事コロンボ』のトリックのせいだとは、わからなかったはずなのに。それにしても、あの時の高島屋の人は親切で、できることなら過去にトリップして説明し、あやまりたい。