2012年5月25日金曜日

芸術か、娯楽かそれが問題だ

げご(1)小学校の頃から、毎月のように映画を見に行っていた。たいていがハリウッド映画のロードショーで、A級からB級、級外までいろいろ見たけれども、そんな中で、映画というのはこんなものであるという「相場観」ができあがっていった。一つのジャンルの性質は、いくつか見ないとわからない。

げご(2)それが、高校くらいからいわゆる名画系の映画を見るようになった。最初はタルコフスキーとか、ヴィスコンティあたりではなかったか。当時はビデオなんかないから、名画座に通って、せっせと見た。そうしたら、それまでのハリウッドの大作とは、明らかに異なる。

げご(3)タルコフスキーなんて、何の説明もない。詩的な映像が、延々と続く。ベルイマンのはっと息を呑むような美しい画面。一度これらの「芸術映画」を知ってしまうと、それまで見ていたハリウッド映画が、なんだかばからしく思えてしまって、「くだらねえよな」とか友達に言っていた。

げご(4)こうなると、ハリウッドが敵になる。映画好きの友達と、「スケアクロウ」や「ミッドナイトカウボーイ」などのアメリカン・ニュー・シネマの頃は良かったけど、最近のアカデミー賞なんてホントにくだらねえ、とよく怪気炎を上げていた。オレたちは、そんなもん見ないぜ、と吹かしてたのだ。

げご(5)ところが、世の中にはいろんな人がいることを思い知らされる。心から感動したエリセ監督の『ミツバチのささやき』。この名作を見て、「小さな女の子」(アンナ)をひどい目に遭わせる、と怒った人がいるというから驚いた。その人は、ミッキーやミニーが好きでTDL行きまくっているという。

げご(6)『ミツバチのささやき』を見て、「ああ、この映画は自分のことを描いてくれている」と思う人と、『プリティ・ウーマン』とか、ああいった商業大作命の人と、世の中はいろいろだなあ、と思って、やたらと映画の話をしていた青春時代があった。後藤聡くん、君は元気でどこにいますか?

げご(7)ハリウッドの大作も、まっ、いいかと思うきっかけは、フロリダのユニヴァーサル・スタジオに行ったこと。インディ・ジョーンズの舞台がマジ凄くて、それだけのエネルギーを費やしてエンタメを作るという志に感動した。ま、世の中いろいろあっていいんだよ。青春のオレは、暑苦しかったね。

げご(8)日本酒飲むようになると、いい酒は翌日残らない。あー、楽しかったと劇場を出て、そのあとすっきり何も残らないハリウッド大作は、極上の日本酒のようなものだろう。タルコフスキーとか心に刺さって、ずっと残る。芸術映画は、そうやって足跡残すけど、ハリウッドは違う道でいいよね。

げご(9)保坂和志さんと話していたとき、小津作品は、ロードショウ当時は普通の人が見に行って、「笠智衆がこんなばかなことを言ってたよ」と笑うような娯楽大作でもあったという。スゲーな、小津安二郎。今見たら神の業だけど、娯楽でもあり、芸術でもあるものを作ったのは、愛が深かったんだろう。