2012年1月2日月曜日

世界的な文脈で考えよう。できるだけ

せで(1)成田から飛行機に乗って、パリに着いた。シャルルドゴール空港でスタッフの方々と待ち合わせて、ホテルに向かった。さっそくiPhoneや iPadでメールやニュース、twitterをチェックする。時折mapで自分の位置を確認する。ホテルに着いて、すぐにネットに接続した。

せで(2)インターネットの発達によって、生活したり仕事をしたりする環境が、世界のどこでも同じになってきた。ネット上のアプリやサービスも、地球共通 の生きる上での関心を反映し始めている。アプリの「生態系」は進化の緒についたばかりであり、これからカンブリア爆発を迎えるだろう。

せで(3)ジョブズの伝記の中に、スティーヴが「はっ」と気づく瞬間が出てくる。確かトルコにいる時だったと思うが、現代の流行、特に技術的流行というも のは、もはやグローバルで、トルコ風の、日本風の、あるいはアメリカ風の技術というものは徐々に意味を失ってきているということ。

せで(4)世界的な規模の関心事について考え、行動することが適応的な時代になってきた。たとえば、貧困の問題。教育の問題。エネルギーのこと。水資源の 問題。食糧問題。平和。メディア。世界中のどんな国のどんな人たちにとっても共通の課題についてパス回しをすることで、人は成長していく。

せで(5)世界的な規模でのことを考えるかどうかは、実は言語とは相関しない。日本語でも、世界的な視野で考えることはできるし、英語でも、ドメスティッ クな関心事について語ることはできる。要するに、どんな意識を持つかであって、そのことによって、生み出されるものの質が決まってくる。

せで(6)パリに来る飛行機の中で、日本を代表する週刊誌二誌を読んだ。一つには私が伊勢神宮に行った記事が出ていて、「ひゃあ」と思ったが。どちらも、ドメスティックな話題がたくさん載っている。日本に住み、日本語を母語とする人しか興味を持たないようなことの数々。

せで(7)ドメスティックな話題に意味がないわけではない。身内の関心事があるし、仲間としての結束があり、固有の伝統や文化もある。その一方で、世界的 な規模の関心事を反映する記事も、両誌(週刊新潮と週刊文春だけど)にはあちらこちらに掲載されていて、その変化の兆しに関心を持った。

せで(8)ここまで相互依存関係が密になると、たとえば経済の課題を解くにしても、一国の内部パラメータばかりいじっていてもらちが明かない。世界規模でのイノベーションと強靱性に取り組むことによって、結果としては日本の経済もよくなっていく。

せで(9)国内の話題やテーマはついつい面白いから目が向くけれども(政治が典型)、世界的な文脈での課題に取り組む時間を、少しでも増やそう。そうする ことが、個人としても、組織としても、国としても、結局は適応的である。世界のあちらこちらでみんなが何に困り、何を夢見ているか想像すること。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。