2012年1月13日金曜日

「これはどうみても、ビョーキだよ」といいたくなることがあったら、その前提を疑った方がいい。

こび(1)iPhoneのSiriはすごいけれども、会話のTuring testに合格するほどではない。雑談は大切。友人との何気ない会話の中に、いろんなヒントがある。昨日も、親友の某と酒場で雑談していて、いろいろ楽しかったなあ。

こび(2)親友は大学に勤めていて、いろいろ面白いことを教えてくれる。一度、彼の授業に潜り込んだら、学生の一人が何やらメールで不出来をしでかしたら しく、大学のメールアドレスが全部停止になったと言って怒っていた。「いいですか、みなさん、こんなことを許したらいけないんですよ」

こび(3)「たとえば、松山市から来た郵便で犯罪が行われたからと言って、松山の住所を使用停止にしますか? それくらい、これはナンセンスなことなんですよ。」ぼくは、あいつらしい修辞だなあ、と思って聞いていたが、昨日は授業の「シラバス」のことであった。

こび(4)「シラバス」について文句を言う大学教員は多い。ぼくが学生の時に受けた西洋史の木村尚三郎さんの講義はずっと雑談で、それが滅法面白かった。 それで何の不具合もなかったし、シラバスの「シ」の字も当時はなかった。それがアメリカでやっているからとマネし始めたのが、間違いの始まり。

こび(5)だいたい、日本は自分で考えたことじゃないことを輸入して失敗することが多い。企業のコンプライアンスも同様。要するに元々の精神がわかってい ないで形式だけ輸入するから、とんちんかんで出来損ないの人工知能のようなことになる。大学のシラバスも同じ危険がある。

こび(6)親友はMITにいたことがあるが、そのシラバスは、要するに提供されている授業がものすごく沢山あるから、「面白いよ」という宣伝のようなもの だという。なるほど、競争の中で学生を呼び込む文だったら意味があるし、MITの教授は、「シラバス通りなんてやらないよ」と言っていたという。

こび(7)「シラバスは、要するにこういう風に授業をするというモデルのようなもので、実際にやってみて、学生の反応その他で、内容が変わることは当然あ る」。MITの教授の言葉は、実にまっとうで、当たり前のことだけれど、親友によると日本の大学では往々にしてそうならない。

こび(8)シラバスを、まるで、生産過程における品質管理、チェックリストのようなとらえ方で教員を縛り付けようとする。具体的にどのようなことをするの かと書くと、「あっ、それはいい」とマネをする負のスパイラルになるから書かないが、親友の話を聞いていて、笑ってしまうと同時にこわくなった。

こび(9)日本の社会の中で、「管理」をしようとすると大体失敗している。「コンプライアンス」も「シラバス」も、あるいは「憲法」も、元々の精神を理解 しないで輸入するからとんちんかんになる。「これはどうみても、ビョーキだよ」といいたくなることがあったら、その前提を疑った方がいい。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。