2011年9月18日日曜日

社会を変えようとするものは、慣性の法則に向き合わなければならない」ことについての連続ツイート

しか(1)今、私は、すっかり敗戦気分の中にある。このところ、日本の社会がヤバイと思って、いろいろ発言してきた。たとえば、新卒一括採用。旧態依然たる大学入試。記者クラブ。しかし、現実は重く、何も変わりはしない。非力さがひりひりと皮膚の中に染みこんでいく。

しか(2)「新卒一括採用」については、その経営から見た非合理性、非典型的なキャリアの人を排除するという反人道性、さまざまな点から見てもはや維持不可能だと思うのに、企業の側はがんこジジイのようにいつまでも同じことをしている。道理を説いても何も通じない。

しか(3)そんな中、私は次第に、トホホな現実を変えようとしないのは、悪意や怠慢からではなくて、能力的にできないのだということに気づき始めた。例えば、「記者クラブ」で言えば、そのような保護のないガチンコの自由競争に巻き込まれたら、多くの記者はやっていけない。

しか(4)大学入試もそうで、旧態依然たるペーパーテストの愚をいくら説いても、それ以外の総合的な判定方法をとるには、日本の大学教員は経験も知識も資質もない、ということに遅ればせながら気付いていったのである。

しか(5)日本が変われないのは、悪意や怠慢ではなく、無能力のせいである。そのように気付いたとき、限りない寂しさが私を襲った。そして、翻って自分はどうなのか、と問い始めた。自分もまた無能力ではないか。できないことがたくさんあるのではないか。

しか(6)だから、私は大乗から小乗になった。自分だって、できないことがたくさんあるじゃないか。社会の前に自分を改革せよ。アスリートになれ。星飛雄馬のように、変貌して、大リーグボールを投げろ。社会の変革の方は、諦めた。だって、みんな無能力なんだから。

しか(7)無能力とは、つまりは「慣性の法則」ということ。社会を変えようとするものは、全ては今までの方向に惰性で進むという基本原則を見つめなければならない。自分にだって、慣性の法則がある。相も変わらずやっていたら、そりゃあ楽だよ。変えるためにはよほどの覚悟がいる。

しか(8)日本の社会が、偶有性に満ちたインターネットの文明に不適応なことは事実である。特に既得権益の人たち。しかし、その頑なさが悪意や怠慢ではなく無能力、慣性の法則によるんだと見えた瞬間、感じ方が変わるよね。俺たち、慣性の法則をみな共有している。

しか(9)だからね、自分の身を削るような努力をまず一人ひとりがしなければ、このクソッタレな現状はきっと変わらないのだと思う。自分を棚に上げて他人をあれこれ言うのは、もういい、って感じかな。ツイッターで活動家を気取っていても、社会は何も変わらない。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。