2011年9月26日月曜日

「ハードとソフトが一体となった経験の提供というGoogleの課題に、日本メーカーが生き残る道がある」ことについての連続ツイート

はに(1)Googleの社是に、「邪悪なことをしない」というものがある。その哲学の具現化の一つが、「ユーザーが求めるもの以外の情報はできるだけ提示しない」ということ。ユーザーが要求しない限り、特定の情報をGoogle側からプッシュすることはしない。

はに(2)Googleのトップページは、検索窓だけのシンプルな構成。もしここに広告をつけたら、莫大な価値があることは明らかだが、「邪悪なことをしない」という社是から、余計な情報は押しつけない。そこに、Googleの美学がある。

はに(3)私がMicrosoftのOSやアプリを耐えられないと思うのは、頼んでもいないのによけいなことをいろいろやるからである。ワードやパワポで、余計なフォーマット変換などをされて立腹した経験は誰でもあるだろう。Googleの「引き算」の哲学の対極にある。

はに(4)Googleの哲学は私にとって好ましいものであり、Appleと同様、私の好きなIT企業となった。ところが、一つ落とし穴があった。Googleの開発するAndroid、ChromeなどのOSは良いとして、それをハードに落とし込む際の「ローカライズ」についてである。

はに(5)ユーザーが最終的にあるガジェットから得るexperience(経験)。その作り込みには、ソフトとハードが一体となった開発が欠かせない。AppleのiPhoneやiPadはそれをやっている。ところが、Googleはハードを直接作らないために、コントロールが利かない。

はに(6)昨日私が使おうと試みたGalaxyは、まさにそのローカライズにおける惨憺たる失敗作だった。「ユーザーが要求したもの以外は提供しない」というgoogleの哲学とは真逆に、余計な、センスの悪いアプリを押しつけている。それをユーザーが消していくという余計な負担をかける。

はに(7)ここに、Googleの一つの脆弱性が明らかになる。AndroidやChromeがOSとしてすぐれていることは疑わないが、それを各ガジェットにインストールし、ローカライズしていく際に、Googleの哲学を貫くことができない。結果としてユーザーの経験が劣化する。

はに(8)Googleの取るべき道は、二つだろう。一つは、ハードへの落とし込みについて、指針を明示的に示して、各メーカーがローカライズするプロセスをコントロールすること。もう一つは、Appleのように、自らハードも作って、一体となった「経験」を提供することである。

はに(9)Googleの課題に、日本メーカーの生きる道もある。Googleと合弁、あるいは合併するくらいの勢いで、製品をつくる日本企業はないか? ネット回りの開発能力、世界市場への浸透力では、勝負はついている。独自のしょぼいソフトを作るより、Googleと組むべきだ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。