2011年9月28日水曜日

「日本はコモディティ化した知性という罠にはまっている」ことについての連続ツイート

にこ(1)波頭亮さん(@ryohatoh)と昨日話していて、日本に決定的に欠けているのはインテリジェンスへの尊敬だと改めて感じた。そもそも教育費への支出がOECD諸国中低い。その支出の中身も、現代の文明で活躍する能力を育むものとへいえない。

にこ(2)東大の先生と話していると、「センター試験の監督気を使いますよ。」などという。「姜尚中さんが監督にいたりして、わーっとなりますよ」などとも聞くが、しかし、そのような業務が、本当に大学の先生がやるべきことなのだろうか。

にこ(3)駐車場の割り振りのような細かいことまで、教授会で決める。小中高もそうで、授業そのものよりも、書類書きや会議で忙しく、疲弊している。教育 費への支出を増やすとしたら、先生の「真水」の部分を充実させるために、余計な業務はそれをする人を雇うべきだろう。 雇用の創出にもなる。

にこ(4)では、小中高の教育は何をしているかといえば、結局、旧態依然たる大学入試の「実績」で世間が評価する。今の大学入試では、インターネット、グ ローバル化の中で創造的に生き抜く知性は、全く涵養できぬ。結局、日本の知性は、安価な、コモディティ化したものになっているのだ。

にこ(5)その「パイ」が減少していくとわかっていても、今までの惰性、ルーティーンで回せる業務に安住する。大学も新聞もテレビも、みんな同じ。本当に大変化を起こそうとしたら、本物の知性が必要になるが、今の日本はコモディティ化した小知恵を安価に大量生産している。

にこ(6)たとえば、日本のメーカーがGoogleと合弁、あるいは合併して情報機器を作るとすると、マッチングやすりあわせ、特許関連の処理など、本物で強靱な知性がいる。そんな知性を、日本の大学教育−>新卒一括採用のルートで育てられるはずもない。

にこ(7)日本の新聞も、もしマーケットを海外にも求めて、アジアのかけ算、シナジーを生み出すニュース部門を作ろうとすれば、本物の知性が要る。一方、 昨日の「天声人語」のように、手垢のついた従来の世界観で適当に回す「芸」のためには、コモディティ化した知性で足りる。

にこ(8)東大合格者数がしばしば高校の評価として挙げられるが、それはもはやコモディティ化した知性、規制のパイの中で回していく能力に過ぎないということを、もういい加減に悟るべきだろう。@Joi のような突出した知性は、日本の風土からはきわめて生まれにくい。

にこ(9)波頭さんによると、日本の一部の企業は危機感を持ち、グローバル化した世界で疾走し続けられるような人材を求め始めているのだという。だった ら、とっとと新卒一括採用を廃止。本物の知性は、大変化の時にこそ必要。ゆでガエルは、コモディティ化した知性で事足りる。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。