2011年9月25日日曜日

「戦犯だとか、そういう粗暴な言葉を使ってはいけない」という連続ツイート

せそ(1)あれは大学院生の頃だったか、ある女性と話していた。その人はきわめてリベラルな人で、進歩的な考え方をしており、およそ保守的な見方とは無縁の、自由人であるように感じられていた。

せそ(2)何かがきっかけで、戦争の話になった。周知のように、首相をされていた東条英機さんを始め、何人かが「戦犯」として裁判にかけられている。突然、彼女が、「そんなの、戦争に負けたからでしょ」と言った。「うちの母親も言っているわよ。戦争に負けたから。それだけのこと。」

せそ(3)ぼくは、いつもリベラルで、およそ国家主義とか愛国主義とかそういうものとは無縁な彼女が、突然そんなことを言ったので驚いた。死ぬときには、排水溝でのたれ死にしていいと言っていた彼女の、激しい言葉に強い印象を受けて、それが今まで記憶に残っている。

せそ(4)戦犯だとか、戦争犯罪人だとか、そういう言葉はいやな響きがある。戦争に至った道筋や、その過程でのさまざまなことで、反省すべきことはあるとしても、少なくとも一国の指導者であった人たちが、「犯罪人」と断ぜられるとは、「戦争に負けたからでしょ」という彼女の言葉が真実だろう。

せそ(5)それを言うなら、こちらだって言いたいことがある。私の父親は東京大空襲の夜、東京の下町を逃げまどった。戦闘行為にかかわってもいない民間人を、一夜にして十万人も殺したのは、戦争犯罪ではないのか? 原爆を二度も落としたのは、戦争犯罪ではないのか?

せそ(6)アメリカはいい国だが、自分たちが正義だと信じて疑わないことは、あの国の深い病気であって、戦争犯罪人うんぬんも、彼らのそのような偏見に基づく世界観であり、そんなものに日本人が付き合う必要は、全くないと私は考える。

せそ(7)戦争はイヤだよ。小津安二郎が『秋刀魚の味』で看破したように、「ばかなやつらがいばりやがるしね。」二度と戦争なんてしたくないし、馬鹿なやつらにいばらせたくない。そのことと、戦争犯罪人がどうのこうのというのは、全く別の問題だ。

せそ(8)野田首相が、就任なさる直前だったか、「A級戦犯がどうのこうのとか、そういうことは意味がない」というような発言をされていたと思うけれども、まったく真っ当な見解だと思う。泥の中にいるどじょうにだって、そんなことはわかるんじゃないかな。

せそ(9)自分たちは正しいことを疑わないアメリカ的な正義感の方が、これからも戦争を引き起こしていく。実際アフガンでもイラクでもリビアでも、自分たちが正しい、と信じて戦争をしている。そんなものに、日本人が付き合う必要はない。戦犯なんて言葉を、オレたちが使う必要はない。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。