2011年9月20日火曜日

プライドとは、自分のありのままの姿を受け入れることである」ことについての連続ツイート

ぷじ(1)「プライドがないところに、成長はない」。近頃、つくづくそう思う。自負というものがなければ、自分を良くしようとも思わない。自分を認められず、愛せない人は、向上しようともしない。一つの国も同じことである。

ぷじ(2)もっとも、「プライド」は、いたずらに自己を肯定したり、他者を排斥したりすることではない。むしろ、変われること、成長できることにこそ「プライド」を持つ。その時自己はメタ概念となる。「今、ここ」の私ではなく、「未来」の私にこそ最大のプライドがあるのだ。

ぷじ(3)プライドとは、別の言い方をすれば、自分の現状を受け入れるということである。「出羽守」では、成長はできぬ。「アメリカでは」「イタリアでは」「フランスでは」。自分たちの現状を棚に上げて、隣りの芝生は青いと言い募っても、そこには、成長に不可欠な身体性がない。

ぷじ(4)自分の持って生まれたものは、受け入れるしかない。トム・クルーズやディカプリオがかっこいいとか言ったって、日本人の姿かたちは仕方がない。サムライの誇り。アメリカのセレブにわーきゃー言っている やつらがきもちわるいのは、自分を棚上げしているからだ。

ぷじ(5)自分が持って生まれたものは受け入れるしかない。小栗旬がそこに立っていると、それだけで「ベルサイユの薔薇」か! っとなる。オレだって、小栗旬みたいに生まれたかったけれども、青い服着るとドラエモンなんだから、それを受け入れることにオレのプライドがある。

ぷじ(6)革命なんて、ろくなもんではないと最近思う。フランス革命も、チュニジアも、エジプトも、カオスの中人々が勝手をやるという点ではロンドンの暴動と違いがない。原動力は理念と関係がない。唯一信じられる革命は、自己革命だと思うようになった。

ぷじ(7)オレは、いくら日本の霞ヶ関や大学がていたらくだからと言って、デモを組織して押しかけようとは現時点では思わない。それはカオスの物理的暴力だから。むしろ、自分たちで気付いて、変革してほしい。そのために理を説くことは、いくらでもしたいと思う。

ぷじ(8)その肝心の自己改革をするためには、自分のダメさ、弱さを見つめて、受け入れなければならない。鏡を見ることは、時につらい。自分がいかに愚かであるかを悟ることになるからだ。しかし、そこからプライドが始まる。自分がサイテーの存在だとわかった時に、プライドが生まれる。

ぷじ(9)人間にとって他者が最高の鏡である以上、プライドを持つには、異質な他者に向き合う必要がある。他者に向き合えない者に、プライドはない。プライドとは、オレは変わってやる、という決意表明でなければならない。隣りの芝生が青いのではない。自分の芝生を青くするのだ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。