2012年3月6日火曜日

ナルシストはある程度までは行くけれども、一流には決してならない

ない(1)いろいろな方とお会いしてお話したり、対談する機会がある。どんなときも、その方の一番よいところを引きだそうとする。たいていの場合は本当に楽しいけれども、時には、内心「困ったなあ」と思うときがある。絶対に相手に悟られないようにするけれども、内心傷ついている。

ない(2)それは、相手が「ナルシスト」である場合。とくに、クリエーター系の仕事をしている人(広い意味での自己表現をしている人)にナルシストが多い。「対談」であるにもかかわらず、自分の話しかしない人。どんなネタでも、自分の話に持っていく人。そんな人に出会うと、「またかよ!」と思う。

ない(3)ナルシストは、自分自身に興味があって、他人や世界にはあまり興味がない。興味がある場合でも、自分を経由していく。だから、パブリックの話や、俯瞰した話ができない。「自分語り」に終始するから、話が広がらない。内心「こいつダメだ」と思いながらも、にこやかに話し続ける。

ない(4)そして、対談が終わったら、「お疲れさまでした!」と叫んで、後ろを振り返らないで逃げ去っていく。できるだけ早く今の悪い時間を忘れようと、口直しに楽しいこと、面白いことを考える。気分転換は私の得意。ただ、ずっとナルシストの自分と付き合っている人は大変だなと思う。

ない(5)表現者にナルシストが多いということは、それなりの適応性があるのだろう。また、日本には「甘え」の文化があって、ナルシストの表現者に一定のファンがつき、市場が形成されてもいる。延々と続く「自分語り」に付き合って、「素敵」と目を輝かせるファンもいるのだから、まあ好き好きだ。

ない(6)ただ、思うのだけれども、経験上、ナルシストの表現者は、それなりのマーケットもあるし、作品もそれなりのものを作るけど、それ以上伸びない。本当に一流のものを作っている表現者には、ナルシストはまずいない。ちゃんと他人や世界が見えている。やっぱり、ナルシストはダメだ。

ない(7)ある人がナルシストになるのは、それなりの理由があるのだろう。ボウルビィの「愛着」理論によれば、他者の愛が足りないのである。他人が自分を愛してくれないから、仕方がないから自分で自分を愛するようになる。つまり、ナルシストは本当は自信がないのだ。

ない(8)もったいない。自分のことばかり考えないで、他者や世界に目を向ければ、どんなに豊かな世界がそこに広がっていることか。「愛」を自分に留めないで、手放し、他者との間で育むことで、より自由で楽しい交流が生まれる。作品の質も向上する。ひょっとしたら「天才」になるかもしれぬ。

ない(9)今日の連続ツイートは、若者、特に表現を志す若者に向けて一つの「警告」の意味で書く。ナルシストのままでも、ある程度まではいく。君たちを甘やかしてくれる、市場もある。しかし、ナルシストのままでは、決して一流の表現者にはなれない。自分から離れて、広い世界に目を向けようよ。