2012年3月7日水曜日

それまでの人生とは、直角に違った方向に歩いていく

そち(1)人間というものは不思議なもので、ある傾向が存在すると、それを「線型」に延長しがちになる。たとえば、ちょっと不調なことが続くと、これからの人生は、この不調なことが延長されて下り坂なのではないかと思ってしまう。

そち(2)今の日本を覆っている停滞感も同じで、停滞という傾向が線型に未来永劫続いていくんじゃないかと考えてしまう。そんなはずがないので、いつかは反転したり、陽化したりするに決まっている。句読点は必ず打たれる。問題は、自らいかに句読点を打つかである。

そち(3)毎週のようにNHKに通っていた頃、20分とか30分の休み時間があることがよくあった。そんな時、私は大抵局内をぶらぶら歩いていた。第一食堂とか、第五食堂とか、丸コアとか、本屋さんとか、10階に行って下りて来たりだとか。

そち(4)ある時、「そうだ!」と思いついて、30分の休みがあったときに、NHKの正面玄関から出て、NHKホールの横を抜けて、代々木公園にずんずん入っていった。片道15分歩くことができる。そしたら、私は森の中に立っていて、小鳥のさえずりを聴いていた。

そち(5)昔から気分転換の名手のつもりだったが、こんな風に気付かないこともあるんだなあと思った。未来について線型近似してしまう癖と同様、人には慣性の法則というものがあって、ついつい過去の延長線上で今日、「今、ここ」を過ごしてしまう。だから人生が単調になっていく。

そち(6)それまでの自分の人生とは、直角に違った方向に歩いていく。時にはそんなことをしてみるのが良い。そうしたら、どんなに異なる風景が広がっていることか。英語ばかりやっている人は、30分スワヒリ語をやってみるとか。人生の句読点は自分で打たなくてはならないんだよ。

そち(7)これはいつも言っていることだけど、前頭葉の背外側前頭前皮質とか、眼窩前頭皮質をつかった気分転換は、瞬時の勝負。「変えよう」と思ったら、ぱっと直角に切り替えて、いきなりトップスピードに入ろう。できない、というのは思い込み。句読点一つで、いきなり世界を変えられる。

そち(8)前頭葉の文脈切り替えの回路が、いわばむりやりに一秒で句読点をつくる。環境の変化や、身体性の推移は、あとからゆっくりとついてくる。まずは自ら文脈を変え、直角に違った方向に歩き始めること。子どもが、新しいおもちゃをみると今までのを放りだして遊び始めるでしょ。あれと同じ。

そち(9)文脈切り替えをすばやくやることの一つのメリットは、人生の多様性が増すこと。一日のうちに、何個句読点を打つことができるか。文章と同じで、人生も句読点の打ち方でいきいきとしてくる。とりあえず、今日、それまでの人生と直角に違った方向に歩いてみませんか? 30分だけでいい。