2012年3月29日木曜日

脳の学習は、オープンエンド=それが本物の知性

のお(1)この所、Kindle for iPadで英語の本を読むことに熱中している。ただ離着陸の時は読めないから、ワシントンでHarvard Business Reviewを買って読み始めたのだけど、日本のメディアの中で流通している情報の質が決定的に劣化していることを痛感した。

のお(2)いつから、日本人の「知性」は劣化し始めたのだろう。どうも、遠因はセンター試験が導入されて、ペーパーテスト支配が強まったあたりにあるよう に思う。アメリカでもSATはあるが、それはあくまでも面接やエッセイなどの総合評価の一部分に過ぎない。点数だけで人はわからないのだ。

のお(3)本物の知性は点数などでは測れないオープンエンドである。常に無限と向き合っているのだ。 東大で哲学を教えていた廣松渉先生が、ぼくのマブダチの塩谷賢に、「学者になるには、一日千頁読みなさい」と言ったそうだ。実行するのは至難の業だけど、 廣松先生の言われることはよくわかる。

のお(4)一日千頁古今の哲学書を乱読しないと見えてこない世界はある。そして、そんなものをペーパーテストで測れるはずもない。英語力も同じで、 TOEICの満点を何回取ったと自慢しているマニアがいるが、正気の沙汰ではないと思う。英語の宇宙は、そこから先にこそ広がっているのだ。

のお(5)脳の学習は、一生かかっても窮め尽くせないオープンエンドなもの。本物の知性とは、結局、そのことがわかっているということ。例えば、マイケ ル・サンデル教授の探究しているJusticeという問題にしても、いくら考えても答えはそのさらに向こうにある。本物の知性は、そこに向き合う。

のお(6)今朝の朝日新聞の社説にも、文科省の高校の理科の検定教科書にどんな記述があったかと書いていたが、そんなことは本当にどうでもいいことなんだ よ。学ぶべき範囲があるとか、標準的な内容があるとか、そういうことは、本物の知性を志向している人は一秒たりとも考えはしない。

のお(7)結局、日本人は標準的な学習の「範囲」があると思い込み、その範囲でできるだけ「満点」に近い成績を上げることが「アタマがいい」と勘違いし、 ちいちいぱっぱちいぱっぱ。先生の言うとおりやってきたんだろうけど、あらびっくり、世界は本当は硝子窓の向こうに広がる大海原だったんだね。

のお(8)ニュートンが、私は砂浜で美しい貝殻を拾ってよろこんでいる子どものようなものだった、真理の大海は目の前に未知のまま広がっているという言葉 を残したけど、これがわかっているのが本物の知性。文科省の検定教科書なんて、砂浜に落ちているプラスティックみたいなものでしょう。

のお(9)本物の知性を志向している人は、走り続けている。廣松さんの言うように、「一日千頁」を続けている。それで、偶有性の海に飛び込んで泳ぎ続けて いる。アップルのスティーヴ・ジョブスは、そういうHumanitiesの総合性とTechnologyを結びつけた人だった。