2012年3月16日金曜日

本音と建て前は、普段から一致させておいた方がいいよ

ほふ(1)昨日、朝日新聞が一面トップで巨人が6選手に球界の「申し合わせ」を超える契約金を支払っていたという報道を行い、今朝もその後追いをしている。それに対して読売が反論しているようだが、この騒動が、全体としてその趣旨、意義が私には一向にわからない。

ほふ(2)読売が「申し合わせ」に反して高額な契約金を支払っていたことが、朝日が匂わせるように「悪い」ことなのだというロジックがよくわからない。そ もそも、「申し合わせ」には法的拘束力があるのかないのか、そもそも、そのような「申し合わせ」をすること自体が妥当なのか、伝わってこない。

ほふ(3)日本の新聞社(特に朝日新聞)は、ある形式的な「ルール」があって、そのルールに形式的に違反している、という報道をするのが好きである。とこ ろが、そのルール自体が、プリンシプルに照らして妥当なのかどうか、という真摯なる検討をする習慣がほとんどない。今回も同様。

ほふ(4)議論されるべきは、そもそも、契約金の上限について、球界で「申し合わせ」をすること自体が妥当なのかどうか、そのことは、私的な権利や自由競 争を阻害しないのかどうかという点であろう。その検討なしに形式的違反を鬼の首をとったように報じても、出来損ないの学級委員のようである。

ほふ(5)別の観点からも、今回の報道は意味がわからない。おそらく、このような契約金の支払いの実態は、(日本の社会の慣例からして)球界関係者はみな (うすうす)「知って」いたはずだ。その上で、申し合わせを守るというう「建て前」と、「本音」を使い分けていたのだろう。

ほふ(6)もともと「建て前」と「本音」がずれているときに、本来課題になるのはいかにそれらを「一致」させるかということだろう。「本音」は、その社会 の実態を反映していることが多い。「建て前」のルールを「本音」の方に一致させることで透明性を高めるというのが筋のはずである。

ほふ(7)今回の朝日新聞の報道のように、「本音」が「建て前」と形式的に一致していないからといって、その「本音」があたかも悪いことのように報じるこ とが、どのようにプロ野球界の発展に資するのか、全くわからない。結局、報道の背後にある「正義感」のプリンシプルが脆弱なものなのだろう。

ほふ(8)現代の文明の発展は、「本音」と「建て前」をできるだけ一致させる方向に運用することを求めている。それが「透明性」であり、公正な競争につな がる。その点を論ずるならばまだわかるが、今回のように本来実態を反映している「本音」を圧殺するような報道は、百害あって一利なしである。

ほふ(9)形式的なルールが妥当なものかどうかを問わずに、それとの齟齬を学級委員的に叩く。そんな貧弱な精神が、いきいきとした活動を地下に潜らせてき たのだろう。あげくの果てに、「ファンの不信」などといった常套句で記事を締める。そんな伝統の「腹芸」こそ、もうごめんこうむりたい。