2012年3月11日日曜日

東日本大震災から一年経った時の流れに思いを寄せて

(1)被災地に初めて入ったとき、その広がりに言葉を失った。トンネルを抜けて、向こう側に入った瞬間、突然家並みが乱れ始めた。やがて、すべてを破壊された土地が続き始める。行けども行けども、瓦礫の山はずっと続いていた。海岸を走りながら、いったいどうすればいいのだろうと思った。

(2)断層が動き、大地を引き裂いたあの日のこと。私たちの運命も、また分裂してしまった。津波が到達した場所と、しない場所で、あまりにも被害状況が異なる。海岸から、ほんの少しの距離、標高の差が、運命を分けてしまった。そして、その分裂した状況の中に、私たちは依然としている。

(3)人間には、想像力がある。他人の体験を、思いやる力がある。ありったけの力を振りしぼって、分裂し、ばらばらになった世界をつなぎ合わせなければならない。その一方で、あの日、揺れが起き、津波が押し寄せる中で自分がどこにいたのかによって、体験が分かれてしまったことを忘れてはならない。

(4)雄勝から避難している子どもたちと話したとき、ある男の子がこう言った。あの日、海を見ていたおじいちゃんが「津波が来た!」と言った。裏山を、草の根や枝をつかんでひっしになって逃げた。おじいちゃんとおばあちゃんの腰を押して、最後は男の子の足、おじいちゃんの腰まで波がきたという。

(5)寒い夜。着の身着のまま逃げたから、ふるえていた。たき火をして、朝までしのいだという。ようやく来た救援のおにぎりを、分け合って食べた。あとで、学校の先生が、あの子たちは笑顔でいるけれども、本当は、目の前でお年寄りがなくなったり、大変な体験をしているのですと耳打ちして下さった。

(6)その男の子が、津波で家が流されてしまった海岸のその土地に、また住みたいと言った、その時の表情が忘れられない。お父さんは漁師さんだという。その男の子のことを一生懸命考えている中で、「板子一枚下は地獄」という古くからあることわざの意味に思い至った。

(7)大変な思いをして逃げた、その体験の辛さと苦しさ。そして、あんなにひどい目にあったのに、また昔のように海沿いに住みたいという男の子の思い。浸水地域の土地利用をどうするか議論が進む中、その12歳の男の子の心のうちには、私が知らない一つの体験の宇宙がある。

(8)震災から一年。多くの人があの日のことを思い、祈りを捧げるであろうこの日。他人の苦しさ、悲しみに思いを馳せることは、人間としてもっとも尊い行為である。その一方で、あの日、私たちの体験が、とりかえしのつかない形で分裂してしまったことも、忘れてはならないだろう。

(9)人間は、決して完全にはわかりあえないとしても、近くに寄り添い、心を向け合うことができる存在なのではないか。そして、それは古来変わらない私たちの生存の基本的条件である。震災がつきつけた「板子一枚下は地獄」の現実の中、私たちは人間であるし、人間であり続けたいと思う。