2012年3月28日水曜日

若冲は心で感じればええ。知識など要らない

じち(1)日本がアメリカに桜を送ってから100年。首都ワシントンのポトマック川沿いに、春になるとすばらしい光景が現出する。それを記念して、日本から特別な展覧会がやってきた。伊藤若冲の「動植綵絵」全30幅が、釈迦三尊像とともにナショナル・ギャラリーで展示されるのだ。

じち(2)若冲の数々の傑作の中でも、動植綵絵は、畢生の大作(magnum opus)とも言える作品である。そこに込められた想い、技量、努力、はからいの凄まじさ。「動植綵絵」があるからこそ、若冲の他の作品も生きてくる。やはり、表現者には、渾身のmagnum opusが必要だ。

じち(3)動植綵絵に描かれているのは、生きとし生けるものの美しい姿。やがては死ぬが、懸命に生きている。それが、釈迦の説教を聞こうと集ってくる。仏教は、人間と他の生きものを区別しない。命のかけがえのなさにおいて、また生きることの苦しみにおいて同じである。

じち(4)熱心な仏徒だった伊藤若冲。その「動植綵絵」は、生きもののありさまを精細に描いたという点においてもすばらしいが、それが釈迦三尊像とともにあるという点に、生命に対する祈りが表れている。全体として、神々しいばかりの、宗教的次元に達しているのである。

じち(5)枡目描きの「鳥獣花木図屏風」など、若冲作品のコレクションで有名なジョー・プライスさんとエツコ・プライスさんのご夫婦にお目にかかった。プライスさんの若冲との出会いが興味深い。建築家のフランク・ロイド・ライトの助手として訪れたニューヨークの画商で、一つの絵にとりこになった。

じち(6)葡萄を描いたその絵が忘れられなかったプライスさんは、店に戻ってそれを買う。やがて絵を集め始めたプライスさん。ただ直観だけで選んでいたが、ある時、「なぜ君は、江戸時代の、特定の画家の絵ばかり集めるのだ」と尋ねられて、はっとする。知らないうちに、若冲の作品を集めていたのだ。

じち(7)プライスさんは言う。「若冲は、生きものの本質を描いている。葡萄にしろ、おしどりにしろ、写真のように描くのではなく、その生の本質(essence)を見抜いて、それを描いている。だから、若冲を感じるのに、知識など要らない。むしろ、知識は邪魔にすらなるのだ。

じち(8)プライスさんのコレクションは日本の各地で展覧されたが、感動的な光景が繰り返された。東京では、竹下通りからやってきた若者たちが絵の前で泣いて、「展覧会をしてくれてありがとう」と感謝したという。九州では、漁師さんや農家の方が野菜や魚をくれた。それが、若冲の力である。

じち(9)若冲の絵には、生きることを肯定させるような、そんな力があると言うエツコ&ジョー・プライスさん。「鳥獣花木図屏風」などの逸品を、来年に仙台を始め東北で展示したいとのこと。何度も被災地を訪れているプライスさんたち。大変な思いをした人たちに、若冲の絵に触れてほしいというのだ。