2012年3月26日月曜日

もっと翻訳をするとええ

もほ(1)このところ、Kindle for iPad で英語の本を濫読している。完全に火がついたようで、もうどうにも止まらない。読んでいるジャンルは、科学や技術、文明にかかわるものがどうしても多いが、そんな中で、すっかり考え込んでしまったことがあった。


もほ(2)繰り返し書いているように、日本のオペレーティング・システムは完全に賞味期限が切れている。大学入試も、新卒一括採用も、記者クラブも。一方で、アメリカを中心とする英語の本を読んでいると、インターネットに象徴される新しい文明の「波」が、いかに世界をつくりかえているかがわかる。


もほ(3)ネットを中心とする情報革命は、本当に興奮すべきもので、その中で新しい産業も生まれ、人々のライフスタイルも変わってきている。ところが、日本は佇んで、微熱的な受益者に留まっている。これはどうしてだろうとしみじみ考えているうちに、これまで考えなかった点に思い至った。


もほ(4)世界で最も興味深い動きと、自国の状態がずれているという認識は、明治時代にもあったはずだ。漱石の小説を読むと、当時のヨーロッパに対する「あこがれ」のようなものが伝わってくる。そして、繰り返し書いているように、大学は外国の文化を翻訳して輸入する文明の配電盤だった。


もほ(5)英語で直接やりとりする「直接性」の時代だとは言え、誰もが最初から高度な英語の運用力をもつわけではない。また、母語である日本語の文化は大切に育てていかなくてはならない。特に、英語を学習する前の子どもたちにとっては、日本語で流通している情報が重要だ。


もほ(6)そのように考えると、今の日本の問題の一つは、「翻訳」の情熱を失ってしまっている点にあるとも考えられる。かつて、明治の人たちがヨーロッパの文明にあこがれ、「和製漢語」の創造性を持って熱心に輸入した、そんな気持ちを、そもそも日本人が失っているように思われる。


もほ(7)国全体として、異質の文化に対する好奇心を失っているのだろう。国のあり方や文化は時代によって変わる。伝統を重視することは大切だが、昨今のいわゆる「若者の保守化」は、外の世界に目を閉ざし、居心地のよい現状にとどまろうとする怠惰だと見ることができないわけでもない。


もほ(8)英語でパス回しをし、ピッチの上を必死になって走るといった生き方が大切な一方で、日本語の世界の中に時代の最先端、今で言えばインターネット文明のうねりを移入し、文化の質を高め、日本の「時価総額」を増大させることが必要。しかし、最近では「伝統芸」の翻訳に力がないようだ。


もほ(9)今の日本に是非とも必要なのは、明治に学問のあり方や文明開化の機微を説いた福澤諭吉のような人物だろう。インターネットの偶有性の文明のうねりから、日本はすっかり取り残されている。ネットと連動して、社会が変わっていかなくてはならない。日本語を2.0にするくらいの勢いが必要だ。