2012年3月8日木曜日

猿だけでなく、山も見ようね

さや(1)新しいiPad(new iPad)が発表された。巷で予想されていたiPad 3という名称を採用しなかったのは、世間の期待を裏切りたいというアップルならではの流儀なのであろう。これで、タブレット市場におけるアップルの立場がより強化されるという分析も見られる。

さや(2)単なるハードとしての優秀さではなく、情報ネットワークと結びついた「ものづくり2.0」が最大の付加価値を生み出す主戦場となりつつある今、インターネットやグローバル化といった文明の波に適応できていない日本企業は「ものづくり1.0」にとどまり、コモディティ化している。

さや(3)なぜ、日本からiPadやiPhoneが出ないのか。あるいは、Google、Facebook、Twitterのようなベンチャー企業が生まれないのか。過去数年間、私たちは繰り返し問うてきたが、容易に事態は改善されそうもない。日本再生は本腰を入れなければ無理だろう。

さや(4)ただ、こんなことがある。以前、大分の高崎山に行ったとき(私は勝手に高崎山というのは群馬県にあるとずっと思い込んでいたのだが)、そこには天然記念物の猿たちがいた。そして、餌付けの時間になると公園にやってくるのを、観光客が喜んで撮影していた。

さや(5)猿たちはもちろん可愛かったのだが、私が心を惹かれたのは、むしろ背景にある豊かな照葉樹林の山だった。猿たちは、餌付けのときにだけ公園にやってくるのであって、ふだんは、森の中でエサをとったりして生活しているのだという。途中から、私は猿ではなく森ばかり見ていた。

さや(6)あれだけの群れの猿が継続的に生活するためには、ある程度の規模の豊かな生態系がいる。つまり、猿は一つのエコロジカル・システムの反映であり、高崎山の猿の存在は、その背後にある原生林の豊かさ、健在ぶりを示す。猿を保護するためには、森全体を育まなければならない。

さや(7)今日本を覆っている危機の本質も、ここにあるのだろう。FacebookやiPadが日本からは生まれないというのは、猿がいないという現象論に過ぎない。そこだけとらえて議論しても仕方がないのであって、問題は、背景にある「森」が健康であるかどうかだ。

さや(8)日本の教育、社会のあり方、メディアの姿、人々の価値観、流動性、市場の機能。さまざまな生態系としての充実ないしは劣化の結果、今日の日本の姿がある。だとすれば、一部分だけをとりあげて、あれがないこれがないと議論しても仕方がない。日本という生態系全体を見直さなければならない。

さや(9)以上のことは個人においてもそうなのであって、なぜ自分にはあることができないのか、その点だけでなく生活全般、人生の履歴という「生態系」において初めて見えてくることがある。木を見て森を見ずの失敗は、国においても、個人においても、繰り返し行われ、私たちを停滞させている。