2012年3月18日日曜日

あやしいおじさんは。どこに行った

あど(1)あれはぼくが中学生の頃だったか。家に一人でいたら、ヘンな男の人が玄関に来た。「あのさ、ぼくさ、お母さんお父さんいないの? おじさんさ、時計の会社で働いているんだけどさ、ちょっと持ってきちゃったんだ。ぼくさ、おこずかいない? 1000円でもいいんだよ。」


あど(2)「おじさんの持っているのは、高級時計で本当は何万円もするんだけどさ、会社が倒産しちゃいそうだから、ぼくだったら1000円でいいや」とひそひそ声で見せたその時計の文字盤に、「Long Times」と書いてあったのを、今でも鮮明に覚えている。


あど(3)Long Timesというのが、Longinesのパクリだと気付いたのは、ずっと大人になってからのことだった。いずれにせよ、ぼくは、「お小遣いありません」と言って断ったら、おじさんは案外あっさり引っ込んで帰っていった。きっと、お金になりそうもないと思ったのだろう。


あど(4)今思うと、あのおじさんの必死な感じとか、ひそひそ話している感じとか、なんとも言えず味わい深かった。記念に、Long Timesの時計、千円で買っておけば良かったと大人の後智恵では思う。遠い昔、日本がまだ高度成長をして、社会に活気があった頃の話である。


あど(5)あの頃は、あやしいおじさんが時々出没した。ちびまる子ちゃんにもあるけど、校門の前にいんちきおじさんが登場して、パタパタやると男の子が女の子に変わる板のやつとか、赤や青に染めたひよこを売っていたりした。祭りでは、「型抜き」で子どもたちの射幸心をあおるおじさんがいた。


あど(6)「型抜き」は、ピンでかたちに抜くと、その難易度に応じて「賞金」をくれるというのである。わるがきたちがわーっと群がってピンでつついていたが、途中でこわれてなかなか完成しない。できた、と思っても、おじさんは「ここがダメだ」となんくせをつけて、お金をくれなかった。


あど(7)今思えば、型抜きとか、最初からおじさんにのせられていたのだろうけれど、そこには丁々発止のやり取りがあって、コミュニケーション自体が楽しかった。どきどきしながらピンで型をつついていたあの時間。今から思えば貴重なエンターティンメントで、お金には換えられない。


あど(8)今や、小学生が歩きながら「ねえねえ、知っている? うちのパパって、昭和時代生まれなんだよ。やばくない?」と言う時代らしい。その昭和時代に出没したあやしいおじさんたちには、それぞれ生活の匂いがあり、切迫した状況があり、騙す、と言ってもそこはかとない温もりがあった。


あど(9)電話一本で何百万も振り込ませる、殺伐としてなんの人間性もない今の悪者たちに比べて、昭和はのんびりして人間味があふれていた。あやしいおじさんたちが街角から消えてしまうと、空き地も消え、空でさえずるヒバリも消え、社会は強迫のように安心、安全と言うようになった。