2012年3月17日土曜日

ニュートリノは、光速を超えないよ

にこ(1)「常識」(common sense)というものは面白いもので、それは、さまざまな小さな「パーツ」となる知識の組み合わせである。その分野における「常識」を持つためには、それなりの経験の積み重ねが必要である。逆に言えば、「常識」を持つくらいになることが勉強の目的であろう。


にこ(2)ニュートリノの速度について、CERNが再実験をした結果、光速を超えなかったと発表した。物理について「常識」を持っている人は、「まあ、そうだろうな」と思ったに違いない。ニュートリノが光速を超えたというニュースが流れて以来の「騒動」が、一応決着した。


にこ(3)ニュートリノの光速超えのニュースが流れたとき、ツイッター上では「アインシュタインの相対論が破れた」とか、「タイムマシンが可能」とか、さまざまな反応があった。科学ネタがそれだけの関心を惹くことに対して新鮮な驚きがあったと同時に、一般の人はその程度の感覚なのだと思った。


にこ(4)アインシュタインの相対性理論は、そもそもこの世界の事物がどのように変化していくかという因果性についてのきわめて精緻な体系であり、ニュートリノが光速を超えるということの意味が、まったくわからない。だからこそ、物理の常識を持つ人ほど、「そんなわけないだろう」と考えた。


にこ(5)極めつけは、益川敏英さんで、私はTokyo FMの番組のキャスターとして益川さんのお話をうかがっていたのだけれども、質問を受けて、一言「ガセネタです」と言い切った。ニュートリノが光速を超えるなんて、ガセネタです、と言い切れるところに、物理学の素養というものがある。


ニコ(6)もちろん、常識は永遠ではない。そもそも相対性理論を導いたマイケルソン・モーリーの実験は、光の速度が一定であることを示したわけだから、当時の「常識」には反していた。しかし、その結果生まれたアインシュタインの相対性理論は、あまりにも美しいものだった。


にこ(7)1905年のアインシュタインの論文以前に、ローレンツやポアンカレが、現象を説明するための奇妙な変換公式を導いていたが、その意味は誰もわからなかった。アインシュタインは、そもそも二つの事象が「同時」であるとはどういうことかという根本に立ち返って、相対論を構築したのである。


にこ(8)結果として生まれた相対性理論は、そもそも二つの物体が時空の中で相互作用をするとはどういうことか、その際の「時間」のパラメータはどのように構築されるかということについて、深い洞察を伴っていた。ニュートリノが光速を超えたからといって、揺らぐような体系ではないのである。


にこ(9)「常識」を破る結果といっても、「スジ」がいいものと、悪いものがある。そんなセンスを身につけるためにも、もっと科学を勉強した方がいいと思う。ニュートリノは、光速を超えない。世の中はそんなものだよ。でも、もっと他のサプライズだったら、いくらでも待っているかもしれないね。