2011年11月8日火曜日

「遠くまで相互影響の関係性が及ぶ現代、予想ができない事態を避けることなどできない」ことについての連続ツイート

とよ(1)日本が不適応を起こしている「偶有性」という文明の新しい波。なぜ、そのようなことが起こってしまっているかということについては、数理的な必然性がある。

とよ(2)現代の世界は、グローバル化によって、遠くまでつながってしまっている。「6人の知り合い」を辿っていけば世界の誰にでも到達できるという「スモール・ワールド・ネットワーク」。予想がしやすいローカルなネットワークだけでなく、長距離結合が重要な意味を持つ。

とよ(3)自分の近くの世界は、ある程度予想できる。しかし、結合を辿ってようやく到達する、遠くで起こっているプロセスは、簡単には予想できない。そして、その予想できない出来事が、まわりまわってローカルなプロセスにも影響を与える。これが、グローバル化時代の特徴である。

とよ(4)たとえば、ギリシャの経済危機は、経済規模からいって以前ならば日本経済に影響を与えるものではなかった。ところが、ギリシャがユーロ圏にとりこまれ、円、ユーロ、ドルの間の相互関係が密になっている時代ゆえに、私たちにも思わぬ影響を与える。偶有性が避けられない。

とよ(5)自分たちの回りだけちゃんとやっていれば予想可能な未来が開けるような時代ではない。ギリシャの経済の行く末は、変数的に私たちにはコントロール不能。それが、回り回って「今、ここ」のローカルに影響を与えることを前提に、世界観を組み立て、生きていかねばならぬ。

とよ(6)お役所の書類主義にせよ、大学入試にせよ、新卒一括採用にせよ、日本の従来の文法の中で「ここだけはきちんとやる」という美徳が、現代の世界の中で全く意味を持たなくなって来ているのは、以上のような相互結合関係のグローバルな展開に起因する、原理的なものである。

とよ(7)偶有性は避けられないものとして、その中に飛び込むしかない。ゲーテのファウストで、人工人間ホムンクルスが、それを閉じ込めていたガラス瓶が割れて海の中に投げ出されるように、日本人もまた、自分たちを閉じ込めているガラス瓶の外に出なければ、現代の空気を生きられぬ。

とよ(8)偶有性という視点から見ると、いろいろなことがナンセンス。例えば、教科書検定問題。歴史についての勉強など、ネット上でいくらでもできる。一字一句までこだわって「標準」をコントロールしようとすることなど、偶有性の時代においては、「超」のつく愚行である。

とよ(9)教科書が電子化され、ネットにつながった瞬間、「検定」という概念が意味を持たなくなるのは、最低の論理的思考で明らかだろう。大学入試にせよ、新卒一括採用にせよ、教科書検定と同じく日本人を閉じ込める「ガラス瓶」に過ぎない。そんなものはとっとと割ってしまうに限る。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。