2011年11月15日火曜日

新しいことに挑戦すると、それだけ濃密な時間を過ごすことができる

あそ(1)小学校の頃、一学期の真ん中あたりで、ふと気付くと、まだ夏休みまでずいぶんあるんだということがわかって、時間の流れが濃く、そして重く感じられることがあった。ギュウギュウ詰めになっていて、なかなか時間が経っていかない。

あそ(2)一方、大人になると、時間の経つのが早い。これは、多くの人が実感するところだろう。落語家なんかは、「近頃では正月が年に三回も来ますから」などと言って笑いを取っているが、冗談ではなく本当である。

あそ(3)時間が経つのが、どれくらい密度濃く、じりじりと感じられるか。それに影響を与えるパラーメータには諸説あれども、有力なのは、どれくらい自分 にとって新しい刺激があり、新たな課題があるかということだろう。単位時間あたりの新しいものとのふれあいによって、時間知覚が 変わる。

あそ(4)子どもの頃は、目にするもの耳にするもの新しいし、階段を上る度に斬新な世界が開ける。たとえば、初めて文字を書くというのは目眩がするほど新 しいことだし、分数を最初に習うのも、くらくらするほど興奮することである。だから、時間の密度が濃くて、経つのが遅く感じられる。

あそ(5)ところが、大人になると、既存の知識、経験で「使い回し」が出来るようになってくる。次第に「新しい経験」の頻度が小さくなり、なんとなくぼんやり生きていても、事が済むようになる。その結果、時間がだらだらとあっという間に過ぎていってしまう。

あそ(6)極論すれば、回路の損傷によって新たな記憶をつくれなくなった人でも、正常の知能指数を示し、それなりに受け答えができる。学習するのをやめてしまったとしても、人生はだらだらと生きていくことができるのだ。

あそ(7)どうせ一度しかない人生を生きるのならば、密度が濃い方がいい。そのためには、自分の知らないことにどんどん挑戦して、脳が新奇性に直面する頻 度を上げることだろう。小学校の時に、「まだ一学期経っていないのか」と思ったように、無理めのチャレンジを続ければ、時の密度が上がる。

あそ(8)小さなことからでいい。例えば、youtubeで自分の知っている曲ばかり聴くのではなくて、知らないアーティストの曲、未聴のクラシックを体系的に聴いてみる。プログラミングに挑戦する。楽器を弾く。今の自分ができないことに挑戦する時間帯を増やす。

あそ(9)新しいことに挑戦する時には、大人の胸にだってさざ波が立つ。小学生の時の作文には、「希望と不安」という言葉がつきものだったが、新しいもの に向き合うからこそ、「希望と不安」がこみ上げる。日本の国全体としても、だらだら惰性で行くのではなく、思い切ったチャレンジをしなければ。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。