2011年11月24日木曜日

インターネットが、地上の風景を変えていく

いち(1)九州新幹線で博多から久留米に移動し、そこから鹿児島本線に乗った。二両編成のワンマンカー。とことこ走るうちに、目的地の西牟田駅に着いた。近くに、集英社の取材でお世話になる旅館「ふかぼり邸」がある。

いち(2)大した距離じゃないから歩こうともともと思っていたが、駅前の様子に呆然とした。何にもない。最初からは乗ろうと思っていなかったが、タクシー 一台ない。これから歩くからトイレに行って置こう、と思って駅前のに行ったら、すぐ後から地元の兄ちゃんがきて、となりに立った。

いち(3)男子トイレでとなりに立たれると、なんとなくやりにくい。しかも、二つしかなくて、距離が近いので、密着感がつよい。にいちゃんきちゃったな、困ったな、緊張するなと思いながら、なるべく別の方を見るようにしてなんとか済ませた。

いち(4)にいちゃんたちは二人連れで、なんとはなしにちんたらした雰囲気をかもし出している。ちんたらと自転車に乗って、ちんたらと二人乗りでふらふら 走り出した。ときどきこっちを振り返っているので、ぼくはiPhoneの画面を見るふりをしながら、ぱっぱっぱと歩いていった。

いち(5)ぼくが歩いていったのは、三潴という地区。本当に静かだった。車も通らない。周囲に溜池がたくさんあって、江戸時代に飢饉を避けるために工夫されて、築造されたのだという。本当にのんびりした、すてきな場所。歩いていくうちに、どんどん周囲になじんでいった。

いち(6)さっきのにいちゃんたちは、昔からいる、典型的な「田舎」の青年たち。都会と違って、田舎は刺激が少なくて、退屈して時間を持てあます、というイメージ。ところが、三潴のきれいな風景の中を歩いているとき、ぼくは突然、待てよそれは違う! と気付いた。

いち(7)今や、インターネットがある。ネットは、世界につながっている。TEDのトークにも、ツイッターにも、最先端の学術論文のpdfにも、 youtubeにも、Economistのサイトにもつながっている。どんな田舎でも、本当は世界のぐるぐると、渦とつながっている。

いち(8)ぼくが、この三潴地区に住んでいたとしたらどうだろう。想像してみた。家で、ネットでばーっと情報を収集する。駆け抜ける。時折、この美しい風 景の中を歩く。考えをまとめる。十分やっていけると思った。もう、田舎と都会の情報格差とか、雰囲気の違いとか、すべては 幻想である。

いち(9)もっとも、変化はゆっくりと起こる。情報の浸透は、やがて非線形の不可逆変化を起こす。どんな田舎でも、インターネットさえ来ていれば、世界と 直結している時代。そのことが、地上の風景を確実に変えていく。私は、大いなる希望を持つだろう。変化の断層は、必ず接続される。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。