2011年11月11日金曜日

「将棋と囲碁は異なる能力を試されるゲームだから、両方やるのがええ」についての連続ツイート

しり(1)「趣味は何ですか?」と聞かれて、答えに窮する。エッセイを書いたり、講演をしたりといった仕事の側面を考えると、すべて反映されるから、純然たる趣味というのはほとんどない。敢えて言えば、すべて仕事。しかし、ほとんど「趣味」と言って良いものがあることに気付いた。

しり(2)それは、将棋や囲碁。子どもの頃からやっているが、マジメに習ったり鍛錬したこともなく、そこそこできる程度。将棋や囲碁に絡んで、何か仕事をするということもほとんどないから、私の数少ない「純然たる趣味」と言ってよいだろう。

しり(3)時間がないのであまりやっていなかったが、このところソフトが良くなったので、iPhoneに入れて、よくトイレでやっている。最初は将棋を熱心にやり始めて、最近は囲碁に凝っている。トイレに座るたびに、「さて続き」と先を打ち出す。

しり(4)将棋も囲碁もよく出来ていて、奥深いゲームだが、両者には違いがある。将棋は、王将をめぐる、緊密な攻防戦。相手と、がっぷりよつに組んで接近している感覚があり、あまり猶予というものがない。序盤のかたちを作るところを除いて、つねに緊迫感がある。

しり(5)将棋に比べて、囲碁は、路面が広いので、あちらの失敗もこちらで挽回できる、というある程度の余裕がある。特に、序盤の布石の場面においては、ある程度のびのびと遊べるという側面がある。その点、囲碁の方が大らかなのかもしれない。

しり(6)囲碁が将棋に接近するのは、大きな石の生き死にがかかわる局面だろう。一着一着に、緊迫感がある。目をつぶしたり、コウに持ち込んだり、あるいはセキになるかどうか、勝敗を左右する分岐点だけに、相手とがっぷりよつに組んだ、将棋的な格闘技性が生まれる。

しり(7)白洲信哉(@ssbasara)はのんだくれているだけでなく、意外な特技をたくさん持っているが、将棋もその一つ。子どもの頃から、中原名人だったか誰かに指してもらって、一時期は奨励会入りも考えたという。こんど指してみたいと思うが、負けるとくやしいようにも思う。

しり(8)将棋や囲碁ができます、という人に会うと、何だか得をした気分になる。実際にはやらないにしても、いつか対局をすることがあるかもしれない、と思うからだ。昨日も、池坊雅史さんが囲碁をすると聞いて、「しめたっ」と思った。

しり(9)王将を巡る緊迫した攻防の将棋。一手でも先に。特に布石において、広々とした空間の中の多数の選択肢の中から、一つを選ぶ「目配りと決断」の囲碁。空間認識と構想力。二つの性格の異なるゲームが日本の文化の中に脈々と受け継がれていることを、誇りに思っていい。

※ ここに掲載している内容は茂木健一郎さん(@kenichiromogi)のTwitterからの転載です。